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Japanese Society of Health Education and Promotion

学会員インタビュー  ふきだし

日本健康教育学会には、健康教育・ヘルスプロモーションを中心に幅広い分野で研究や実践に携わっている学会員の先生方がたくさんいらっしゃいます。
若手の会のメンバーが様々な分野で活躍する学会員の先生方に、これまでのキャリアや若手へのアドバイスをインタビューしてお届けします。

若手の会についてはこちらをご覧ください。

目次

LinkIcon第27回髙泉佳苗先生(前編)「これまでのキャリア」(2019年6月)

第26回金森 悟先生 後編「若手へのメッセ-ジ」(2019年6月) 

第25回金森 悟先生 前編「これまでのキャリア」(2019年6月)

第24回 深井穫博先生 後編 「若手へのメッセージと学術大会への想い」 (2019年1月) 

第23回 深井穫博先生 前編 「これまでのキャリア」(2019年1月)

第22回 小澤啓子先生 後編「教育と研究の架け橋」 (2018年7月)

第21回 小澤啓子先生 前編「これまでのキャリア」(2018年7月)

第20回 西岡伸紀先生 後編 「若手へのメッセージと学術大会への思い」(2018年1月)

第19回 西岡伸紀先生 前編 「これまでのキャリア」(2018年1月)

第18回 高橋希先生 後編「管理栄養士としての歩みと若手へのメッセージ」(2017年6月)

第17回 高橋 希 先生 前編 「健康教育に興味を持ったきっかけと,キャリアパス」(2017年6月)

第16回 助友裕子先生 後編「女性のライフイベントと若手へのメッセージ」(2017年6月)

第15回 助友裕子先生 前編「これまでのキャリア」(2017年6月)

第14回 荒尾 孝先生 後編「健康教育分野を担う若手へのメッセージと学術大会への想い」 (2017年5月)

第13回 荒尾 孝先生 前編 「将来の健康教育分野への願いと学術大会への想い」 (2017年3月)

第12回 林 芙美先生 後編「キャリア形成と若手へのメッセージ」

第11回 林 芙美先生 前編「健康教育に興味を持ったきっかけ」(2016年10月)

第10回 高倉 実先生 後編「キャリアと若手へのメッセージ」(2016年5月)

第9回 高倉 実先生 前編「学術大会への想いと沖縄県の健康課題」(2016年5月)

第8回 戸ヶ里泰典先生 後半「尺度開発のお話と若手へのメッセージ」 (2015年11月)

第7回 戸ヶ里泰典先生 前編「健康教育に興味を持ったきっかけと、これまでのキャリア」(2015年11月)

第6回 衛藤 久美先生 後編「若手へのメッセージ」(2015年8月)

第5回 衛藤 久美先生 前編「健康教育へ興味を持ったきっかけ・学生時代のご経験」(2015年8月)

第4回 吉田 亨先生 後編「若手へのメッセージと群馬学術大会に込めた想い」(2015年3月)

第3回 吉田 亨先生 前編「健康教育の道に足を踏み入れる」 (2015年3月)

第2回 神馬 征峰先生 後編「健康教育へ興味をもったきっかけ・若手へのメッセージ」(2014年12月)

第1回 神馬 征峰先生 前編「これまでのキャリア」(2014年12月)

第27回  髙泉 佳苗先生  前編 「これまでのキャリア」 

髙泉佳苗 Kanae Takaizumi

【略歴】管理栄養士として病院に勤務後、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程に進学、2012年 修了。日本学術振興会特別研究員(DC1)、岩手県立大学盛岡短期大学部生活科学科 講師を経て、2015年より仙台青葉学院短期大学 講師、2019年より同准教授に就任。

継続が鍵


━━━ 奨励賞受賞おめでとうございます!受賞の喜びや感想をお話しいただけますか?

  •  まず、これまでの食生活リテラシーの研究はすべてウェブ調査のみだったので、調査のレベルとして奨励賞をいただいていいのだろうかという思いが大きかったです。それでも今回表彰いただき、とてもありがたく思います。それからキャリアパスにも関わるのですが、博士号取得後、主婦業に専念していた時期もあるんですね。子どもが生まれてからは生活第一のスタイルで仕事をしていて、空いている時間に少しずつ研究を継続してきました。その成果を認めていただけたことに恐縮でありながらも嬉しさを感じています。この賞には今のスタイルでも頑張って継続して研究をしていきなさいという激励も含まれているのではと思っています。

スポーツ・研究との出会い、導き


━━━ 病院の管理栄養士としてのご経験を教えていただけますか?

  •  病気や食事で悩んでいる患者さんに栄養面からサポートできる栄養士になりたいと思い、大学を卒業してすぐに病院に就職しました。そこは、栄養サポートチーム(NST)を東北ではじめて立ち上げた病院でもあり、病棟に張り付いて患者さんと11で接する機会が多かったです。栄養サポートの一部として運動の取り組みがあって、新人栄養士がダンベル体操を行う。もともとスポーツはやっていましたが、そこで栄養と運動の関連性を強く感じました。それがきっかけで、病院にお願いして働きながら健康運動指導士の資格を取得しました。


━━ 病院の管理栄養士からスポーツ科学の研究室に進学された理由は?

  •  病院では、栄養士として症例検討や、自身でデータを取得して発表することも求められ、研究の一歩手前のような経験もしました。その際に医師と自分の考察が違ったりして、自分のやっていることは正しいのか等モヤモヤがありました。きちんと研究方法を学びたいと思い、大学院に行こうと決意しました。病院をやめるつもりはなかったので、1年で修了できるところを探しました。そこで早稲田大学の健康づくりと運動に関する研究室を発見。1年間休ませてほしいと上司に頼んでスポーツ科学を学ぶことにしました。修了して現場に戻ったのですが、修士だけでは研究というものがよくつかめなくて・・・。もう少し研究したいという思いと、現場で栄養業務をするよりも研究を極めたいという気持ちの方が強くなったので、現場はやめて博士課程一本に絞りました。


━━ スポーツは本格的にされていたのですか?

  •  小学校から高校までバレーボールを続けていて、県の代表で東北大会まで行きました。大学からは、オリエンテーリングという競技があってインカレを目指していました。オリエンテーリングは心技体という3つが大事だと言われていて、勉強になりましたね。あと、大学院生の時の研究室が地域のウォーキングサークルを運営している研究室だったので、住民の方々を集めて毎週ウォーキングをしていました。小さい頃からスポーツとは近い存在でした。


━━ 今の教育職についた理由は、やはり研究への思いですか?

  • はい。現場でも研究はできるのですが、現場で仕事をする上での向上心がなくなってしまったことが一番大きいです。あとは、一人の栄養士として人々の健康づくりに携わりたいという思いがありますが、病院などの現場で自分一人が携われる患者さんの数には限りがあります。それよりも、これからの健康づくりを担うより多くの栄養士や管理栄養士を養成する道も間接的ではありますが、人々の健康づくりに貢献できるかな、という思いがあって教員を志しました。


━━ 今はどのような科目を担当しているのですか?

  • ライフステージ栄養学実習、臨床栄養学実習、栄養教育論、栄養指導実習を担当しています。


━━ 先生が考える、行動変容を促す理想の栄養教育方法を教えてください!

  •  対象者の行動変容を促す一番の方法は、そうあってほしいという願いもこめて個人栄養教育だと考えています。ただ、そのためには栄養士の行動科学についての知識やカウンセリング技術なども必要になるので、栄養士としての経験はもちろん、栄養士の養成での教育も大事だと思います。私が学生の頃は、行動科学という言葉を一度も学ばずに、学んだのかもしれませんが記憶に全然残らずに卒業したので、将来、栄養士になる学生には行動科学や行動療法についてしっかりと学んで卒業してほしいと考えています。しかし、個人栄養教育という11の形で栄養士が関われる場所や機会、対象は限られています。より多くの人の行動変容を促す方法の1つとして、「食情報をどう発信していくか」と「その食情報を受けとるスキル(食生活リテラシー)」について研究を進めています。


20196月第28回日本健康教育学会学術大会(東京)にて
インタビュー後編は,髙泉先生の研究内容や若手へのアドバイスをお届けします!
(串田修,佐藤愛)

第26回 金森 悟 先生  後編 教育への思いと若手へのメッセージ 

保健師の存在意義をしっかり伝えていきたい


━━━ 教員になろうと思った理由を教えてください

  •  もともと産業保健師として働いていて,現場のデータの分析はもちろん業務内でできるんですけど,論文を書くということは業務にはならないんですよね.論文を書いて世の中に発信していくということはある意味,趣味みたいな位置づけで行っていたのですが,それを業務としてできるといいなあというのが本音ではあったというのが1つあります.それと別の理由としては,保健師や研究者として培ってきた経験を,論文だけでなくて教育という形で還元していけたらいいなあというのがありまして,そうなったときにそれができる立場ってなんだろうとなると,大学教員なのかな?というような選択肢になって,ご縁もあり大学教員になりました.


━━━ 学生教育をする上で,力を入れていることはありますか?

  •  力を入れたいと思っていることは,実践と研究のどちらにおいてもPDCAサイクルをきちんと回せるようになってほしいということです.私自身の経験でも,会社のデータ分析をして上司に返して,といった実践におけるステップと研究におけるステップは,どちらもPDCAサイクルを回していく上でほぼ同じことを行っているんです.例えば,現状を分析して,できる限り根拠のある介入をするためになるべく先行研究を読んだりして.そしてそれを実施したらきちんと評価をしなければいけないし.評価の視点においても,どういう質問項目を聞いて,比較群をどうするかといったことを考えていって,出てきた結果をどう考察するか,そして次はどうするのかといったそのプロセスって研究も実践もほぼ同じ.
  • また,行政の保健師を対象とした研究で,保健師の能力で1番弱かった項目が,新規事業の必要性とか事業の評価を見せるスキルが低かったというのが明らかにされているので,そこができるようになるような保健師を増やせればいいなと思っています.そうすることで結果として保健師の意義も高まってくるでしょうし,「保健師って大事だよね」ということが世の中に伝わっていくといいなと思っています.医療職ではない人に保健師の話をしても,「保健師って何してるの?」ってよく聞かれるので,保健師の存在もしっかり伝わって,意義も伝わっていけばいいですね.自分自身が現場と研究をしてきたので,その強みを活かして教育に貢献したいと思っています.

若手へのメッセ-ジ


━━ 若いころにしておいた方がよいことはありますか?

  •  自分の関心ある分野の一流の人に会いに行くのが良いかなと思います.特に若い人ほど質問しやすい立場だと思うんですよね.ある程度上になってくると「こんなこと知らないの?」って思われてしまいますが,学生や若手であれば「まあ知らなくてもしょうがないよね」となるでしょう.逆にそれが強みになると私は思っていて,それを武器にどんどん偉い先生方に「先生,私これ関心あるんですけど教えてください」とか,どんどん尋ねたら良いと思います.自分の研究だとか強みの部分を質問されたりすると私自身嬉しいので,おそらく他の先生方も自分の研究分野に関心を持っていることを知ると,嬉しいと思うんですよね.結局,私自身が素晴らしい先生方に引っ張り上げてもらっている感じで,今のところまで来られていると思っています.人の影響を受けるのであれば一流の影響を受けたほうが良いと思っているので,“朱に交われば赤くなる”の朱になる部分は一流の方がいいですよね.

チャンスをつかむ秘訣


━━ 人とのつながりを大切にされている先生ですが,たくさんのチャンスを掴むコツや秘訣はあるのでしょうか?

  •  私,学生時代にひたすら旅行をしていて,色々な現地の人の家に泊めてもらったりとか,そういったことをしていたので,性格的に図太いかもしれません.一番はたぶん,積極的な姿勢を持ちながら,その先生が行っている研究とか関心が高いところを質問なり声を掛けていくということが大事なのではないかと思っています.あとはタイミング.例えば発表直後の先生に質問や名刺交換で多くの人が並んでしまったりするとほんの数分しか話せなかったりするので,私は懇親会をものすごく重要視しています.特に飲み会はおすすめですね.




━━インフォーマルな場も貴重なチャンスということですね!

  • あとは,経営学の本で読んでいておもしろいなと思ったキーワードがあります.“transactive memory”という言葉で,組織のパフォーマンスを高める上で重要な要素で“誰が何を知っているかを知っておくこと”というのが重要なんだそうです.そして,そのtransactive memoryを高めるには,face to faceの関わりが重要というのを読んだときに,「あ,これ,自分のことと当てはまるな」と思いました.先生方とのネットワークを大切にしていくというのは重要なのかなと思います.別の本でも,“弱いつながりの強さ”という言葉があります.普段濃密な関わりだと比較的狭い世界だけど,ちょっと弱いつながりだけど離れている人って比較的また違う世界を持っていたりして一気に情報が広がったりするので,そういう弱いつながりを持っておくというのも重要と思います.
  • 怖気づかないで一流の先生のところにどんどん尋ねて行ったらいいのではないかと私は思います.

(2019年6月 第28回日本健康教育学会学術大会(東京大学)にて

金森先生から,健康教育への思い,若手へのメッセージをいただきました.人とのつながりを大切に,積極的な姿勢を持ちながら進んでいこうと感じた若手の会メンバーでした.(細川佳能,赤岩友紀)

金森悟

第25回  金森 悟先生  前編 「これまでのキャリア」 

金森 悟 Satoru Kanamori

【略歴】2005年看護師として順天堂医院に3年間勤務.2010年早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了.2010年順天堂大学看護学部 助教として3年間勤務.2013年保健師として伊藤忠テクノソリューションズ株式会社に6年間勤務.その間,2017年東京医科大学大学院公衆衛生学分野博士課程修了.2017年から東京医科大学公衆衛生学分野 客員研究員となり,2019年より東京女子医科大学看護学部 講師に就任.

人とのつながりから生まれた研究


━━━ 奨励賞受賞おめでとうございます!受賞の喜びを教えてください!

  •  もちろん非常に嬉しく思っています.奨励賞は第一回の受賞の先生方から見てきてはいましたが,ちょうど第一回が福田洋先生(現 順天堂大学医学部 先任准教授)でした.非常にお世話になっている先生が受賞されていて,あのような素晴らしい先生が受賞するすごい賞なんだなと思っていました.その後,甲斐裕子先生(現 公益財団法人 明治安田厚生事業団 体力医学研究所 主任研究員)も受賞されていて,自分の中でロールモデルとする先生方が受賞されるような賞に自分が選ばれてもいいのかな…という思いもありました.10年前の自分が見たときに受賞に値するのかなど色々思うところはあります.しかし,そのような先生方が受賞されてきた賞に自分が選ばれたことは,非常に嬉しいことだなと思っています.

多くの気付きを与えてくれた人との出会い


━━━ 現在の研究,分野に興味をもったきっかけを教えてください.

  •  昔からスポーツが好きだったので,最初は早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に所属していたこともあり,サッカーの監督をやってみたいなと思っていました.サッカー部の大先輩である岡田武史元監督が講演に来てくださったこともあり,あんな風になれたらいいなと憧れていました.海外旅行も好きで,海外に行って色々な人と触れ合うときにも,スポーツを通して現地の人達と知り合えるのも楽しかったです.そんなときに自分自身が入院したことがスポーツ分野から健康分野へ転換するきっかけになりました.自分の入院というより入院生活の中で出会った一人の高齢男性の存在が大きかったです.消灯後に二人で話す機会も多く,私が退院した後もお見舞いに行っていました.その方は段々と体調が悪くなってしまったのですが,私が顔を出しに行くことでこの方の生きがいに何か貢献できないかと考えるようになりました.ご家族や看護師さんの理解もあり最期までその男性に寄り添わせてもらった経験から,終末期の段階での働きかけについて考えるようになりました.


━━ 学生時代から多彩なご経験をされていたのですね.

  •  実際に現場に出て,終末期の人のケアを行っていました.ボランティアも色々なことをして,そこで経験を積むうちに最期だけのアプローチだけではなく,もう少し前の段階でアプローチができたらより良いのではないかと感じるようになりました.そこで,以前から好きだったスポーツを活かし,健康づくりやその先にあるQOLまで働きかけられるような取り組みができたら良いなと考えたのが,研究以前の想いとしてありました.


━━ 健康スポーツ室での新たな気付き

  •  その想いを実現するために順天堂医院の健康スポーツ室で看護師を始めました.そこでは,行動変容の支援を中心に業務を行っていました。印象的だった出会いとしては,夫婦で利用されている方がいて,奥さんは仲間とわいわい運動を楽しみ,かたや旦那さんは一人で寂しそうに運動している…この違いはなんだろうと思って見ていたことです.そこからは,行動変容など個人へのアプローチについて勉強しながら実践していました.しかし,個人へのアプローチだけでは限界がありそうだということに気付き,環境や集団へのアプローチを学ぶために大学院へ進学しました.そのようなプロセスから,一人の身体活動量を増やすことにも関心はありましたが,そこだけでは何か足りない!と,どこか引っかかる部分がありました.そこからまたたくさん模索して,自分が関心あるのは運動を誰かと一緒にやることなのだとやっと辿り着くことができました.

個人から集団へのアプローチへ


━━ どのような経緯で産業保健師として現場でご活動されるようになったのですか?

  •  金森インタビュー入社する前は,順天堂大学で看護の教員をしていました.これまで,病院での個人へのアプローチは現場経験としてあったけど,集団を対象にすることはできていなかったので,そういった経験を積めたらいいなという思いを持っていました.あと,さんぽ会という産業保健の勉強会に行っていて,学術的には何となく理解できているけど,実際それを行ってみたらどうなんだろう…という興味が湧いてきたこともあって産業保健の道に進みました.


━━ 実際に現場ではどのようなことをされていたのですか?

  •  現場で取り組んだこととして特に多かったのは,健康診断後の対応でした.健診で所見が見られた人をまず抽出し,有所見者に面談を設定して,その結果を本人の同意をとって上司にフィードバックするといった仕事です.それ以外に比較的多かったのが,メンタルヘルスに関する相談を受けて,必要に応じて上司,人事,産業医らと相談したり…そのあたりの調整をしながらその後の対応をするというところですかね.
  •  私が行ったことの1つとして,情報配信は定期的にはされていなかったので,やりましょう!といって月1回健康情報の配信をするようにしました.いきなり全員に配信は難しかったので,依頼のあったある特定の部署だけ行っていました.そうしたら別の部署からも依頼がきて,さらに自分が所属する人事部でも流すようになったんです.上の人から「そんなちょこちょこやってるなら全員に配信しなさい」と言われて,そこから全社に広がっていったという経緯がありました.内容については,健康の押しつけはしたくないという思いと,産業保健自体企業の中で働くときに経営の視点を入れることも重要視されるので,運動しましょう…食事はバランスよく…だけではなく経営の視点も必ず入れるようにしていたところが,ある程度評価してもらえたのかなと思います.
  •  IT企業だったのでパソコン業務も多く,肩凝りや腰痛対策のニーズが高かったため,“カラダのゆがみ測定会”というものも行いました.これはネーミングもものすごくこだわって,健康に関心がない人にも来てほしかったので,なんか面白そう…!と感じさせるように工夫しました.案内のメールを配信して30分で募集枠が埋まってしまうほどの人気でした.10分程で測定して運動指導を受けて,就業時間内に1人ずつ個別に対応するという形で進めたら,社員には好評で,予防・改善効果もある程度見られたため,私が辞めるまでの6年間は毎年取り組ませてもらいました.

(2019年6月 第28回日本健康教育学会学術大会(東京大学)にて

インタビュー後編は,金森先生が教員になろうと思ったきっかけや若手へのメッセージをお届けします.(細川佳能,赤岩友紀)

第24回 深井 穫博 先生  後編 「若手へのメッセージと学術大会への想い」 

臨床は面白い!


━━━ 大学で働こうと思ったことはありませんか?

  •  非常勤講師をしたり、研究員をしたり、いろいろなところに行きます。学生と話したりすると刺激にはなるけれど、臨床医をやめようと思ったことはありません。
  •  それは、国際保健でも、日本歯科医師会の活動でも、寿命の研究でも、行動科学の研究でも、自分の背骨がないといけないと思うからです。口腔保健の分野の中でも私は臨床医なので、患者さんの口の中を診ることを通して、物事を把握しています。その経験がなくて疫学調査や政策のことをやっていても、あまり現実的に意味のある研究や取り組みにはならないのではないかと思います。もちろん誰にでも言えることではないかもしれませんが、私の場合、振り返ってよかったのは患者さんの診療をしていることかなぁと。
  •  臨床は厳しいこともありますが、楽しいですよ。患者さんと会うことも、症状を見ることも、必要があって始めた訪問診療もね。

とにかく前に進んでほしい


━━━ 若いころにしておいてよかったことはありますか?

  •  深井インタビュー一つは、読書の習慣。それも、いわゆる乱読です。海外のものも含め、なんでもかんでも読んでいました。あとは、尊敬できる先輩との出会い。先輩は、たまにはいいことをいいますからね(笑)。たとえば、福岡予防歯科研究会の先輩に、「辛子明太を食べた人にしか、あの辛さはわからない」と言われたのを今でも覚えています。やってみなければわからない、理屈よりも行動することを大事にする人達でした。


━━ 若手へのメッセージをお願いします!

  •  もしもあの時にあの人たちに会わなかったら、こういうことをしていなかったら…と思うことはたくさんあります。もしも九州歯科大学でなくて医学部に行っていたら、将来は全く違って、当時興味があった精神医学の分野に進んでいたと思います。また、福岡予防歯科研究会に行って予防歯科の方たちに出会っていなかったらネパールにも行かなかっただろうし、国際保健に興味を持つことも、英語を話すこともなかったかもしれません。それからPhDコースに行かなかったら、またまったく違ったのではないかなと。そういうことの積み重ねで、できることが増えていったかなと思います。
  •  僕がやっていることはたくさんあるように見えるけれど、どれもバラバラではありません。日本歯科医師会地域保健委員会の仕事も、ネパールの歯科保健も、行動科学・ヘルスプロモーション・公衆衛生ということで共通しています。たとえば、ネパールでは一生で一回も歯科治療を受けていない人たちもいます。その人たちの口の中を見ると、一本ずつの歯をすりへるまで使い切る感じがあります。その中で食べられなくなる人もいます。歯科治療を受けない人は、食べにくくなったまま我慢しなければなりません。そのようなことを、健康教育・ヘルスプロモーションの観点、国際保健医療学会や健康教育学会の人との出会いや、臨床をやっている経験から考える事が出来たし、ネパールの経験はいろいろなところに活かされています。これまでの経験すべてが一貫してつながっているから、あんまり苦労には感じません。そしてそれは、今の若い人たちも同じようになっていくんじゃないかなと思います。
  •  僕が研究所を始めたときには、コロキウムやセミナーに参加してくれる人たちは先輩や同年代が多かったのですが、今はだんだん後輩たちや若手が増えています。今の若手研究者は早い時期から発表したり論文を書いたりと、研究能力が昔の自分たちとは違うと感じます。20代から研究を始めた若手の彼らも、今や准教授や教授になっています。僕は35歳くらいから研究を始めたから、僕の4050代で見えた世界と、今の若い人たちがその年代で見える世界は全然違うと思うし、どこまで伸びるのかわからない。だから、どこまで伸びるのかを見るのが楽しみです。

━━ 若手に期待することは何ですか?

  •  今の若手に期待することは、期待というよりも…、できるだけ前に進んでほしい。もっともっと前に進んでほしいですね。

専門領域を超えた共有を目指して


━━ 学術大会に向けた想いを教えてください!

  •  第28回学術大会今度の学術大会の趣旨はいくつかあります。
  •  一つは健康格差。健康教育は個人の場面、集団の場面、地域の場面があるけれども、Inverse care law のように、健康状態の良い人たちには健康教育は届くけど、悪い人には届かない。たとえば健診や健康教育、歯科医療は健康状態の良い人には届くけど、そうでない人にはプログラムが届きません。そういった問題を解決しようとするのが本来のヘルスプロモーション、別の言い方で言えば、健康格差を減らすということになります。そういった意味では、厚生労働省や日本歯科医師会の政策も重要です。そこで、健康格差の是正と政策についての議論を深めたいと思っています。また、個人の健康教育の限界についての共通認識を持ちたいというのもあります。個人の健康教育でやっていることの限界を感じている社会疫学の人たちは、長期的な効果の観点から健康教育自体に疑問を感じています。近藤克則先生に基調講演をお願いし、一度健康教育の限界と、健康格差の是正にどう広げるかというのを議論して行きたいと思います。
  •  もう一つは健康に関する多職種連携と高齢者保健の問題。元気な高齢者が増えて、平均寿命が延びました。平均寿命が70歳の30年前と80歳を超える現在では高齢者の健康教育の在り方はずいぶん違うはずです。そこで、今の高齢者保健について改めて考えたいと思っています。また、健康教育学会の人たちは、健康に関する専門職という共通点があって、対象者本人の健康行動の改善をサポートする集団だと思います。様々な専門家が集まった組織だけど、専門化が進むにつれて、それぞれの分野で研究デザインをコンパクト・具体的にしないとアウトカムがはっきりしません。だけど、お互いに健康の専門家であるから、やろうとしているプロセスやアウトカムには共有できる部分があるのではないかと考えています。たとえば口腔保健と栄養は、食べることで一致しているので共有できるかもしれません。
  •  最初の特別講演で、近藤克則先生に健康教育の限界を述べてもらいます。一日目のシンポジウムでは、健康日本21の評価について様々な専門家に登場してもらい、どう共有できるかという議論を深めたいと思っています。二日目のシンポジウムでは「健康施策を考える」をテーマとして、自分たちが持っているアウトカムをやっている途中で共有できるか、高齢者の健康教育と、口腔と栄養のコラボレーションを考える場所を作りたいです。学術大会の1日半を通して、これらの議論を深められればと思います。その議論が学会誌の特集で反映され、さらに議論が深まることを期待しています。

(2019年1月 深井保健科学研究所 にて)

深井先生から若手へのメッセージと学術大会への思いを伺いました!深井先生が学会長を務められる学術大会に是非ご参加ください!(田中、町田)

深井穫博

第23回  深井 穫博先生  前編 「これまでのキャリア」 

深井 穫博 Kakuhiro Fukai

【略歴】1983年福岡県立九州歯科大学卒業。1985年 深井歯科医院開業。ネパールにおける歯科保健医療協力などの活動を経て、1997年 東京歯科大学にて博士(歯学)の学位を受領。2001年 深井保健科学研究所を開設し、所長に就任。その後、公益社団法人日本歯科医師会常務理事(地域保健・産業保健)、公益財団法人8020推進財団専務理事等を経て、FDI Oral Health for Ageing Population Task Team, Chair 、神奈川歯科大学 客員教授(口腔科学講座社会歯科学分野)など、多くの活動に従事している。

臨床と公衆衛生の両立を目指して


━━━ 歯科医師を志したきっかけを教えてください!

  •  高校3年生の頃、なるべく人間に関係する仕事がしたいと思って、医学部か歯学部がよいかなと思っていました。私立の大学はお金がかかりそうだったので国立か公立かという感じで探していて、公立の大学で唯一歯学部深井インタビュー2があった九州歯科大学に入学しました。入学してまず驚いたのは、北九州の寒さです。ずっと関東に住んでいたから、九州ってあったかいのかなと思っていたら、北九州は寒かった(笑)。
  •  入学して、最初の目標は、トーマス・マンのトニオ・クレエゲルという小説をドイツ語で読むこと。教養課程にドイツ語があると知って、当時好きだったこの小説をドイツ語で読めるようになりたいと思っていました。どちらかというと体育会系の大学だったので、大学の近くの長屋に下宿しているとクラブの勧誘が来ます。高校生の頃はテニスをやっていたからクラブに入るのもいいかなあとも思ったんだけど、大学から少し離れた場所に下宿していたら勧誘に来ませんでした。そのおかげで、ドイツ語の勉強や読書をする時間をしっかり確保できて、1年くらいすると読めるどころか、ほぼ丸暗記していました。
  •  それで、次にどうしようかなと思っていて。そんな時に出会ったのが福岡予防歯科研究会(現:NPO法人ウェルビーイング)でした。その当時、大学を卒業したばかりの先輩のグループで、何人か6年生もいました。その人たちが目指す究極の歯科医療は、むし歯や歯周病がなくなって歯科医がいなくてもいい世界になることでした。その理念を聞いて、なるほどなと思いました。当時、あんまり真面目に勉強ばかりしてもなと思っていたのですが、その人たちはよく飲むし、音楽なんかもやっていて、楽しい人たちでした。週に一回福岡でセミナーをやっていて、大学が終わってから毎週木曜日に電車で福岡に行きました。この先輩方からは、歯科医療を治療から予防へと転換しようとする強い意志を感じることができましたし、臨床と公衆衛生を両立しようとする考え方には強い影響を受けました。セミナーの後は朝まで中洲で飲んで、金曜日はそのまま大学に行っていました(笑)。

開業、そして研究の道へ


━━━ 卒業後はどうされたのですか?

  •  歯学部を卒業すると多くは、大学に残って研究者になるか臨床に行くかに分かれます。研究者になろうとは思わなかったから、大学卒業後は福岡で勤務医をしていました。福岡予防歯科研究会の活動も続けていて、幼稚園や小学校でのむし歯予防のためのフッ化物洗口の普及活動などを行っていました。
  •  それから、結婚して出身地の埼玉県で歯科を開業しました。学校保健とか地域保健とか、どこから関わっていいかわからなかったけど、そういうこともできるようになりたいと思っていました。開業して最初の5年間くらいは、診療所を軌道に乗せることに集中していました。この頃は、臨床と地域保健、あとは文学なんかを続けていければいいかなと思っていました。
  •  そんな時に、自分の書いた文章を読んでいて、ふと気づいたことがあります。エッセイや日記は書ける。しかし、科学的な文章・論理的な文章ではないということに気がつきました。それで、なんでかなと思って。いろいろな人の文章を読んでみて、これはトレーニングが必要なのだなとわかりました。
  •  そこで、東京歯科大学口腔衛生学講座の専攻生になり、5年間診療後に大学に通いました。研究テーマは行動科学に関するものでした。学位論文では、「口腔保健の認知度と歯科医療の受容度」について保健行動モデルを作り、質問紙調査による仮説モデルの検証を行いました。当時この研究分野では、子どもや高齢者の研究はある程度進んでいたけど、成人の研究は少なかったんです。研究者が少ないから海外に行ってもすぐに友達がでました。

━━ なぜ、行動科学をテーマに選んだのですか?

  •  当時、診察をしていて不思議だったことがあります。同じように説明しても、ある人の口の中はよくなって、ある人の口の中はよくならない。あるいは定期健診について伝えても、ある人は定期的に来院しますが、ある人は来ない。なぜだろうと。それで、これは研究になりますかと主任教授に聞きました。ちょうど研究室でも行動科学の研究を始めたころでした。そして、このテーマを選んだのが、行動科学とか健康教育・ヘルスプロモショーンの研究に触れ合うきっかけでした。

多くの活動を経験して


━━ 先生の経歴を見ると、たくさんの活動をされていますよね。*

  •  専攻生になる少し前に、1990年ネパールでの歯科医療協力活動に初めて参加しました。最初は歯科治療をしていました。しかし、それだけでは解決しないので、予防歯科や健康教育、学校保健の活動も始めました。これがきっかけで、国際保健にも携わるようになりました。ネパールでの活動内容について学会報告や論文報告をするようになり、年から年間は日本の歯科口腔保健のである歯科保健医療国際協議会の会長も務めました。
  •  それから2004年くらいから、日本歯科医師会の仕事も始まりました。その当時、口腔保健の分野は成人歯科が課題となっていて、それに対応するための行動科学や健康教育の専門家として声がかかりました。行動科学に基づく新しい深井インタビュー3成人歯科健診プログラムの開発を行いました。その後、地域保健委員会委員長になり、それから理事・常務理事を務めました。
  •  そうこうしていると、厚生労働科学研究班で、口腔と全身の健康との関連の研究が始まりました。その当時、口腔の状態と寿命との関連を調べている研究はあまりありませんでした。それで、厚労省から話があり、宮古島でコホート研究を始めて、今年で28年目の追跡となっています。最初はレトロスペクティブ、その後はプロスペクティブなコホート調査です。
  •  日本歯科医師会の仕事がひと段落したころ、WHOの人たちとの交流や国際歯科連盟(FDI)の仕事をすることになりました。高齢者の口腔保健については世界全体の課題となっています。年に日本歯科医師会の主催で高齢社会の歯科をどうするかという世界会議を行って、その議論をで引き継ぐことになりました。そこで、高齢者口腔保健タスクチームの委員長を務めることになりました。


━━ 研究所について教えてください!

  •  診療所の所属で研究を続けてもよかったのですが、研究者仲間もいるので、2001年に深井保健科学研究所を設立しました。研究所の主なタスクは2つあります。一つ目は、セミナーとコロキウムの開催。毎月研究所でセミナーを行い、年に一回都内でコロキウムを開催しています。二つ目は、年に2回の学術誌「ヘルスケア・ヘルスサイエンス」の発行です。

(2019年1月 深井保健科学研究所 にて)


*日本国際保健医療学会編.国際保健医療のキャリアナビ.南山堂:東京;2016.で詳しく紹介されています。

インタビュー後編では、若手へのメッセージや学術大会へ向けた想いをお届けします!(田中、町田)


第22回 小澤 啓子 先生  後編 「教育と研究の架け橋」 

研究と教育にむけた信念


━━━研究活動の支えになっている信念は何ですか?本当に1番やりたい事は何ですか?

  •  大学で教壇に立つために研究を始めました。私は授業が好きなんです。授業が好きと思えるようになったきっかけは,自分が関わった学生達の行動変容にありました。無意識のうちに行動変容技法や行動科学的なことを実践していたのかもしれないですが,「こんなことを言ったらこういう風になってくれた」といった体験—人と人が関わることでより良くなっていくこと—にすごく快感や生きがいを感じることができました。病院の管理栄養士をした経験から予防の重要性に気付かされるなど,学びは多かったけれども,“やっぱり教えたい”そこに揺るぎない信念があります。
  •  もう1つは,負けず嫌いのなにくそ魂です(笑)。短大卒という経歴に対して,ネガティブな評価をされた経験があります。助手としてのサポート力は誰にも負けないぐらい,時間もかけたし自分なりに努力もしてきたつもりですが,大学の教員になるには,業績が必要,学位が必要とあって…。「だったら取ってやる!文句は言わせない!」そういった負けず嫌いの性格が,私を研究に向かわせました。博士の学位も,そうした負けん気が生んだ賜物です。劣等感だけでは人は動かないけれども,劣等感を糧にして頑張ってこられたという意味では,信念ともいえるかもしれません。
  •  ただ,いざ研究をしてみたら研究そのものがやっぱり面白かったです。病院などの現場で思っていた予防の重要性に役立つ研究ができるということで,夢中になりました。さらに良かったことは,研究したこと,研究を通して得たスキルが授業にそのまま活かせるということです。研究できていなかったときの授業よりも,今の授業の方が,自分で納得しながら教えることができています。というよりもむしろ,自分の授業に還元できる研究をやりたいという思いがすごくあります。


━━━研究者の道に進むことを迷われたことはないのでしょうか?

  •  助手の頃も,博士課程に進み食生態学を学び始めて間もない頃も,ブレブレだったと思います。栄養指導を専門的に学びたかったけれども,助手時代は調理実習や給食経営管理実習などの担当が多かったので,もどかしさも感じていました。何が自分の強みなのか,専門なのか,どこに向かっていけばいいのかと迷いながら食生態学に進んだので,当初は悩みました。「ここがあってたのか」と自信がなくなったりもしていましたが,当時の悩みを(指導教員である)武見ゆかり先生に打ち明けたときに,していただいたお話に救われました
  • 「ストレートに大学院に進学した子の方が確かに早く学び,得ているものは多い。でも,あなたはあなた。全てを強みにしていけばいい。調理ができて栄養教育ができる人ってそうそういないでしょ。あなたはそれができるのよ。すごいじゃない。」
  •  それ以来,全ての経験が無駄にはならないと信じて,「調理もできて,栄養指導・栄養教育もできる」教員であることを自分の強みやオリジナリティとして短大教育に勤しんでいます。

  •  思い悩んだ当時の経験は,学生指導をはじめ,いろいろなことに活かされています。私はたまたま最初に勤めた助手の仕事がすごく自分には合っていたと思うし,精を出して仕事に打ち込むことができていました。それ故に当時は,なかなか仕事が手につかない後輩を見て,「もっと頑張りなさい」と思うこともありました。でも,私も自分自身の人生における“迷い”を経験して,人それぞれ悩みを抱えながら人生を歩んでいる時期があるということを理解しなければならないし,学生指導に当たってもそれを念頭に教育すべきであることを学びました。学生達の中には,将来の進路や就職について全く思いつかない人もいれば,とにかく管理栄養士になりたいと訴えてくる人もいます。私は,自分が経験した迷いからも,それを受け入れつつ,1年後,5年後,10年後の自分を思い描けるように学生を指導できればいいなと思っています。


全ての経験が活きる


━━ 勉強や研究に励んでいる若手に向けてのメッセージをお願いします。

  • やっぱり若いうちに苦労をたくさんして,自分の足をつかって,積極的に経験を多くすることだと思います。すべての経験が絶対に無駄にはならないと思うので。私は遠回りをして,結構年齢を重ねてから研究の世界に足を踏み入れたので,正直体力的にきついことも多かったですし,凝り固まった考え方や価値観を崩すことにも時間がかかりました。皆さんは若いうちから,興味をもったことについて突き詰めようと研究されているのはすごく素敵だと思います。いろいろあるかもしれないけれども,大きな波には敢えて飛び込む気持ちで,沢山苦労をされた方が良いと思います。そして,これからまだまだ長い人生ですから,迷うこともあると思いますが,なりたい姿っていうものを常にイメージしていると良いと思います。栄養指導でもそうなのですが,適切なプロセスは1つではなく,この道が正解というのはありません。とりあえず1つやっておけばいいやっていうよりも,いただいたチャンスがあれば貪欲にやって,いろいろな道を知っておかれた方が良いと思います。小澤インタビュー1
  •  それから,私はずっと,研究や仕事,プライベートでも「素敵だな」って思う人には自分から積極的に関わるようにしています。自分が素敵だと思った人の周りは,また素敵な人がいるんですよ。そんな人達のそばにいることで,得るものが多いと思います。明確にこの人のここが素敵だから真似しようって思うこともあるし,その人たちと会話をしている,時間を共有していると,自然とそういう価値観が生まれてくることもありますよね。ですから若いうちから,ご著名な先生でも「素敵だな」と思ったら,躊躇せずに思い切ってどんどん近づいて行って吸収をすることをおすすめします。この学会はそれを許してくれます。そうした機会を得るためにも,学術大会やセミナー,若手の会のイベントなどには積極的に参加されると良いと思います。そして,将来的には自分が「素敵だな」と思ってもらえる側の研究者や教員となること,近づいてきてくれた人にはどんどん発信していける人になっていくっていうのが理想かなと思いますよね。

(2018年7月第27回日本健康教育学会学術大会(姫路)にて)

小澤先生からいただいたメッセージを胸に「人とのつながりを大切に,何事にも積極的に,そして前向きに」,進んでいきたいと感じた若手の会メンバーでした。

(小岩井馨,中村悟子,喜屋武享)

小澤啓子

第21回  小澤啓子先生  前編 「これまでのキャリア」 

小澤 啓子 Keiko Ozawa

2014年 女子栄養大学大学院栄養学研究科博士後期課程修了,2015年 新渡戸文化短期大学生活学科食物栄養専攻准教授,2016年 女子栄養大学短期大学部食物栄養学科 専任講師に就任

きっかけは,憧れ


━━  奨励賞受賞おめでとうございます!受賞されたご感想を教えてください!

  •  ありがとうございます!嬉しいという気持ちが1番です。最初に赤松理恵先生(現 お茶の水女子大学大学院 教授)に推薦のお話をいただいた時には,私などが・・!!という思いもあったのですが,せっかくいただいたお言葉なので,チャレンジしてみたいなと思いました。いろいろな方にご指導をいただいたり,支えていただいて,今があります。論文という成果物だけでなく,こういった形でも評価していただけたんですよ,と感謝を示せるとも思いました。実際に受賞させていただいて本当によかったです。


━━ 食生態学という分野を選ばれたきっかけを教えてください!

  •  食事バランスガイドが策定された当初,その策定に関わられた武見ゆかり先生(現 女子栄養大学大学院 教授)のご講演を拝聴したんです。さらっとかっこよく話されて,その姿とその話術・・・,全てに魅了されてしまって,”あぁこんな先生もいるんだ”と思ったのが1番始めのきっかけでした。数年後,働きながら大学院修士課程でいろいろと勉強し始めていたときに,自分の興味関心のある文献を検索すると,足立己幸先生(現 NPO法人食生態学実践フォーラム理事長),武見ゆかり先生,食生態学研究室の先輩方の論文が必ずヒットしました。それで,ここに行けば研究したいことができるんじゃないかなと思うようになりました。また,健康教育学会の巻頭言が,その先生方のいろいろな思いなどが書かれているので好きで拝読するのですが,武見先生が書かれていた時に,全部すごく納得ができて,それで武見ゆかり先生のところで学びたいと思うようになりました。

大学教員への道を選んだ

━━ 先生が教師になろうと思ったきっかけを教えてください!

  •  短大を卒業して本当は食品企業の研究補助員になるはずだったのですが,栄養指導関係の先生に助手がほしから残ってくれと言われたんです。大好きな母校,先生のもとで仕事ができるなんて幸せだと思い,内定を取り消して助手になりました。短大の2年間で学生達がものすごく成長していく様子を見て,そこに関われていることにとてもやりがいを感じました。ただ,仕事をしていく中で,図々しくも「私だったら,こんな授業をしてみたい」とか,「もっと上手に教えられるかも」と思うようになっていったんです。先生方と学生達の橋渡し的立場ではなく,自分の言葉で,思いで学生達と関わりたいと思うようになっていきました。それが教員になろうと思ったきっかけです。

━━ 先生という立場になられて,物事の見方は変わりましたか?

  •  助手をしていたときに,尊敬する先輩が「先生ばかり見るんじゃなくて,先生の作業とか指示を見ている学生を見なさいね。教えている側と教えられている側,両方を見て,ここの関係をスムーズにするのが助手であり,先生のサポートにつながるのだから常にどちらも見る目を持ってなさい」って言ってくださったんです。助手の仕事や非常勤講師として講義もしてきたので,そういう意味では急に変わったというわけではないのですが,専任教員になった今も,常に多方面から物事を見るようにしています。

最新情報を発信し続けるために


━━ 研究を継続していくモチベーションの維持の仕方を教えてください!

  •  小澤インタビュー2やっぱり,教育と実践は本当に両方大事で,自分も実践していないと,生きた授業じゃないですけど,学生にリアルな話ができないじゃないですか。きちんと先行研究を整理して,世界中にはこんな研究をしている人がいるよっていう話ももちろん大切ですが,ライブ的な自分が行ってきた話っていうのもすごく大事だと思っています。実際にそういう話をしてくださる先生達の授業は得るものが多いので,自分もそうありたいって思っています。専任教員になってからは,なかなか実践現場で研究するといったことは難しい面もあるのですが,学内で授業ばかりに集中していたら,授業が腐っちゃう気がするので,自分も常に何かしらやっていたい…っていうのはすごく気にしてはいます。ただ,1人ではできないので,こういった学会や,研究室の仲間と一緒に,情報交換をしたり,レビューを進めたりしています。仲間も頑張っていると,刺激を受けて,モチベーションがあがりますよね。また,お互いの研究成果を授業で紹介したり,というのも良い刺激になっていると思います。


━━ 人とのつながりが大切ということでしょうか。

  •  人とのつながりはとっても大切だと思いますよ。私は今回システマティックレビューをやらせていただいたこともあり奨励賞を頂きましたが,レビューも絶対1人ではできません。1本の論文を決めた採択基準に基づき,複数人で〇にするか×にするか決める際に,けっこう意見が割れるんですよね。大学院入学当初は,批判的意見や自分と違う意見を言われた時に,自分を否定された気分になったりしたんですけど,今は1つのものに向かってお互いが意見を言い合うことってすごく素敵なことだし,必要なことだと思っています。このことは食生態学研究室で学び得たことだと思います。意見を言ってくれたということは,自分が発信したことを真面目に聴いてくれた,もっと良くしようと思ってくれたということですよね。こうしたお互いの批判的意見を受け入れられる人とのつながりができているか,ということはとても大切だと思います。ですから,学生達には若いうちから批判的な意見を発言できる,受け入れられるようになってほしいと思って授業やゼミを展開するようにしています。いただいた意見は一度受け入れる。よく咀嚼して使うものは使えばいいし,そうでないものがあってもいい。こういった力は早いうちに身につけておいた方が良いと考えています。

20187月 第27回日本健康教育学会学術大会(姫路)にて)

インタビュー後編は,小澤先生が研究を進める上で大切にされている信念や若手へのメッセージをお届けします!(小岩井馨,中村悟子,喜屋武享)

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第20回 西岡 伸紀 先生  後編 「若手へのメッセージと学術大会への思い」 

若手には経験的・学問的学びを通して大きく成長してほしい!


━ 若手のうちから取り組んでおいた方がよいと思うことを教えてください!
 

  •  西岡インタビュー1院生の頃から、研究室などのプロジェクト研究の一端を担うことは貴重です。プロジェクトに直に関わることで、研究の進め方を経験的に学ぶことができます。私が院生の時にも、行動の観察や評価研究など、新しい研究方法について学ぶことができました。また、喫煙防止教育の研究班で喫煙に関する文献を報告していたので、文献の読み方や整理の仕方を学ぶことができました。英語論文は、内容が広く質の高いものが多いですから、若手のうちから接する機会を多く持ってほしいと思います。 
  •  また、若手のうちは論文を英文誌へ投稿することも貴重な経験です。私は昔、評価の高い学会誌へ無謀にも投稿し、辛辣なコメントとともにリジェクトされたことがありますが、それも今となってはいい思い出です(笑)。その後,別の学会誌に掲載していただいたのも良い経験でしたが。 経験はたくさんさせていただいたのですが、統計学や英語などはきちんと学んでおけばよかったと思います。特に英語に関しては、国際学会で発表する度にもっと勉強しておけばよかったと思いますね()。英語でコミュニケーションできることは貴重だし、素晴らしいことだと思います。日本には健康教育に関する素晴らしい取組や情報がたくさんあり、海外の研究者は日本のそのような状況を聞きたい模様ですが、それに応えられないことはとても歯がゆいですね。
  •  研究における連携も大切です。一人で研究をしているとわからないことが出てきます。そんな時には詳しい専門家に聞いて学ぶようにしています。兵庫教育大学には様々な分野の専門家がいるので、その点はとても助かっています。健康に関する様々な情報は玉石混淆の状態なので、その中から的確な情報を探すというのは苦労しますね。人を頼るというのは決して悪いことではありません。一人でしっかり情報を吟味して取捨選択することも大事ですが、効率的に仕事を進めていくためにも、お互いにわからないことは教え合い「学び合う」姿勢というものが大事だと思っています。

― 若手研究者に期待することを教えてください!

  •  若手研究者は吸収力が高く、コミュニケーション能力やネットワークを構築する力も高い人が多い印象です。また、研究に必要なスタミナも兼ね備えています。ですので、いきなり質の高い論文を書こうと肩ひじ張らずに、どんどん論文を投稿して、社会へ情報発信をするようになってほしいですね。投稿前には吟味が必要ですが,慎重になりすぎず,ある程度論文をまとめられたら査読者に投げてみるくらいのつもりでもよいかもしれません。その中にはリジェクトされてしまうものもあるでしょうが、それは決して恥ではありません。精神的には辛いんですけどね()。しかし、自分が納得して投稿したものなら、査読の厳しいコメントにも納得しやすいのではないかと思います。また、健康教育領域では研究論文にしやすいデータがたくさん存在しています。頑張ってください!

健康教育・ヘルスプロモーションでどこまでできるのか

━ 学術大会へ向けた想いを教えてください! 

  •  第27回学術大会私がなぜ評価研究に取り組んできたのかというと、「健康教育で一体何ができるのだろう?とか、どこまでできるのだろう?ということがいまいちわからない」という思いから、それを確かめてみたいと思ったからです。そこで、今回の学術大会では、健康教育・ヘルスプロモーションでどこまでできるのかということをテーマにしました。特に評価を通して見えるものがあるのではないかということで、シンポジウムⅠは「健康教育,ヘルスプロモーションの評価から得られること」というテーマにしました。特別講演では、東京大学の近藤尚己先生に健康格差、社会疫学の視点から健康教育に何ができるのかということをご講演いただきます。また教育講演では、京都大学の阿部修士先生から意思決定についてご講演いただきます。阿部先生はスローな意思決定がファストな意思決定をどの程度支配できるのかということについても研究されており、それについてもご講演いただく予定です。また、シンポジウムⅡでは、がん患者サバイバーシップへの支援について取り上げます。学術大会の内容は,自分たちが聞かせていたただきたいことを反映しておりますが、企画は新しい動向等も踏まえていますので、是非ご参加ください!

(2018年1月 都内会議室 にて)

西岡先生から若手への応援メッセージと学術大会への思いを伺いました!西岡先生が学会長を務められる兵庫大会に是非ご参加ください。(町田、根本)

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西岡伸紀

第19回  西岡伸紀先生  前編 
「これまでのキャリア」 

西岡 伸紀 Nobuki Nishioka

1984年 東京大学大学院教育学研究科修士課程修了、1987年 同研究科博士課程単位修得満期退学.1987年から新潟大学教育学部に勤務.助手、講師を経て1989年助教授に就任.1999年から兵庫教育大学に勤務.現在同大学大学院学校教育研究科教授.

健康教育ってすばらしい!


━ 健康教育を志したきっかけを教えてください!  

  •  中学生の頃から健康や環境に興味がありました。環境に関心を持ったのは、私が愛媛県の出身で、当時、瀬戸内海での公害問題が身近にあったことによると思います。一方で、健康と環境はセットのようなもので、人の健康を扱う医学にも関心がありました。
     その気持ちを持ったまま、高校三年生になりました。近所に農学部に行っている高校の先輩がいて、進学について相談に行ったら、農学部でも環境のことは出来るよって言われて。その日のうちに、受験するなら宿はどこにするみたいな話になりました(笑)。悩んでいたんだけど、強く誘われた形で農学部への進学を決めました。
     それで東大農学部に入学して、海洋生物学の研究室に入りました。水の環境について勉強したかったのですが、実際に入ってみると、予想と違っていました。その研究室は基礎研究重視の教室で、環境問題を扱う応用的な研究には否定的でした。それでどうしようかなと考えまして。健康に関わるために医学部に入り直すことも考えましたが、親から「また何年も・・・勘弁してくれ」と言われまして(笑)。最終的に、当時、高石昌弘先生が教授でいらした教育学部の健康教育研究室の研究生になりました。その翌年、大学院に入学しました。
     当時の自分にとって、健康教育ってすごく響きが良かったです。今でもそうですが(笑)。友達にも「流行だね」なんて言われて。「流行は違うだろう」と思いましたが・・・。「健康について教育できる」という考え方がすばらしい。とても価値があることだと思いました。

研究する面白さを知った大学院生時代

― 大学院生時代のことを教えてください! 

  •  西岡インタビュー1高石先生が担当されていた研究の一つに喫煙防止のプロジェクトがありました。その一環として、助手の川畑先生、大学院生が一緒に、喫煙の文献のレビューをしました。喫煙の健康影響、関連要因、防止教育などの内容について、文献を分担して報告し、ディスカッションしました。
    子どもの喫煙防止教育の実践にも取り組みました。海外での防止教育を参考に教育プログラムを作って、その効果を見たわけです。まずは高校生を対象にしましたが、当時の高校生は喫煙の経験率が高いこともあり、顕著な効果はありませんでした。次に中学生を対象にしましたが、やはり喫煙者がいました。最後に小学生を対象にしましたが、これが難しかったです。校長先生から、喫煙を始めていない小学生に何で教育するのかと反対されました。始めたら止めにくく、思春期に好発するからとか色々説明しましたが、なかなか納得されませんでした。
     もう一つ印象に残っているのは、安全行動の測定の研究です。先輩が助成金を取って、コレすごいですよね、子どもの飛び出し行動の研究をしました。飛び出しの起こりやすい環境のセットを作って、その場の子どもの行動をビデオに撮って解析しました。この研究を通して行動解析や評価方法について勉強できたし、自分たちで研究する面白さや喜びを感じました。
     そして研究結果をまとめて論文を投稿しました。投稿する前に院生の先輩に意見もらうんだけど、これが厳しくて。最初は研究について知らないから当然ですが、ショックでした。でも、そのようなやり取りや投稿後の査読コメントへの対応を考える中で、研究の経験や素養を積むことができたと思います。
    そんな中、D3のときに新潟大学の教育学部でポストが空いたので応募したら、幸いにも採用していただいた次第です。

養護教諭の養成から大学院教育へ

━ 新潟大学ではどのような仕事をされていましたか? 

  •  新潟大学では、教育では養護教諭の養成に関わりました。養護教諭特別別科という、看護士の有資格者が1年間勉強して養護教諭の免許を取得するコースの担当でした。だから、養護教諭の関わる学校保健活動には、自ずと興味を持つようになりました。修了研究という卒業研究のようなことも、グループ研究として指導しました。そこで学校保健に関する知見が広がっていったように思います。
     自分の研究としては、健康教育を続けていました。新潟で何年かすると、新潟県の先生方との面識もできてきました。そこで小学校高学年対象の喫煙防止プログラム開発と中学3年生までの評価を本格的に始めました。結果として、当たり前なんだけど行動はなかなか変わらないことが分かりました。しかし、顕著ではありませんが、喫煙率の上昇を抑える可能性があることも実感しました。
    プログラムの中では、小学生を対象に喫煙に誘われた時の対処の学習を取り上げ、その評価も行いました。海外の研究では対処行動のトレーニングが有効とされ、評価の結果にとても期待していました。評価の指標は対処の自信としました。海外のプログラムを参考に良く考えた内容だったので、絶対に効果があると思っていました。評価するまでも無いと。しかし、実際やってみると介入群の自信は下がり、対照群では変わりませんでした。介入によってむしろ対処の自信が下がったわけです。大変なショックでした。同時に、評価しないとわからないことがあることを痛感しました。このプログラムでは、子どもたちが断り方を考えた後、代表の子どもたちが、前に出てきて誘い役の先生に対処しました。ただ、大人を相手するとプレッシャーが大きくてうまく対処できないこともありました。クラスの子どもたちはその様子も見ていて、自信を下げてしまったのではないかと思います。効果は指導内容に影響されることを痛感しました。
    健康教育を行う中でターニングポイントがもう一つあります。当時から、ただ健康への悪影響を教えただけでは行動が変わらないことは知られていました。しかし、何をすればいいのかはよくわかっていませんでした。そのころ海外ではライフスキル1)の研究がされ、効果を挙げていました。そこで、どんなものなのか知るために、アメリカ健康財団のライフスキルプログラムKnow Your Bodyの研修ニューヨークで受けました。研修を受けてみると、プログラム自体がとても面白い。面白くて効果が上がるなんて願ったりかなったりですね(笑)。そこで学んだことを、プログラム開発、教員研修などに取り入れていきました。



━ 兵庫教育大学に移ったきっかけを教えてください! 

  •  新潟大学での担当学生は1年で修了しました。学生は目的意識が高く積極的で、指導に手応えを感じていましたが、色々出来るようになってきた頃に修了して、新入生が入ってくるっていう感じで慌ただしさもありました。もう少し長い目で関われる環境を探していたところ、兵庫教育大学で募集があり、応募しました。
    兵庫教育大学で驚いたのが、学部学生に比べて大学院生が多いこと、また大学院生には現職者が多いことです。赴任当初、現職院生と大学教員の区別がつかず、やたらと挨拶していました(笑)。定員は学部生160人に対して修士課程は300人。そうなると、大学院生の教育にも大きなウエイトを置くことになります。赴任前には学部生の指導をイメージしていましたが、院生指導に大きく関わることになりました。現在は修士13人、博士2人を指導しています。やはり現職者が多いので、現場の課題の解決に関わる研究を進めることが多いです。メリットはフィールドが近いことです。研究テーマは様々で、例えば、自尊感情、目標設定スキル、被援助志向性等の向上のためのプログラム開発や評価研究、緊急時対応の校内研修と評価など、各自の関心をベースに指導可能なテーマに取り組んでもらってます。現職者は研究方法の学習機会が少ない場合があるので、その点も重視して、所属コース(学校心理・学校健康教育・発達支援コース)として教育したり、個人的に指導したりしています。

((2018年1月 都内会議室 にて))

1) 日常の様々な問題や要求に対し、より建設的かつ効果的に対処するために必要な心理社会的能力

インタビュー後編は、若手へのメッセージと学術大会への思いを届けします!(根本、町田)

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第18回 高橋 希先生 後編「管理栄養士としての歩みと若手へのメッセージ」 

キャリアパス 千葉県管理栄養士としての歩み


━ 大学院に行かれる前は,保健所での業務の他にどのような業務をなさっていましたか?  

  •  保健所での業務は,保健センターや学校などとの連携した事業が多かったのですが,一度直に対象者に関わってみたいと思っていました.また,栄養士業務の一つである,献立を立てたり,実際に食物を扱う業務をしたことがなく,食物を扱う面で自信が持てずにいました.そこで,児童養護施設を希望し,異動しました.児童養護施設では,調理員さんといっしょにごはんをつくって,子どもたちと食べて,食育をする.これまでの保健所の立場からの「支援」ではなくて,私がやっていくんだという開放感がありましたね.現場の中で考えるというのがとても楽しかったです.

― 児童養護施設では朝昼晩3食を提供されていたと思いますが,大変ではなかったですか? 

  •  大変でした(笑)勤務した施設は,ユニットに分かれており,1カ所の厨房で給食を作るわけでなく,複数の家で調理員だけでなく,児童指導員や保育士といったもともと調理専門で仕事をする先生ではない方も調に入ることもある状況で,3食つくるのは難しかったです.調理する人の調理技術などを考慮した献立を考えていましたし,子どもの生活に併せて,学校や施設でのイベントなどの事情や予算もあわせて,1つの食事をつくるのには,様々な要素がありました.地元の食材を入手するために,八百屋さんや魚屋さんに仕入れ状況を確認するなど,地域の情報を入手することもありました.そうして献立ができあがります.

━ 業務の他に,研究や食育もされて,どのようにこなされていましたか? 

  •  研究や食育は,業務とすべて連動しています.例えば,子どもたちに食べさせたいものがあっても,子どもが嫌いだから出さないでほしいと先生に言われたりすると,なぜそれを食べないのか,また先生が出さないでほしいという背景が気になる.すると,残食量とか食べやすい方法を調べたり,それを提供した時の評判はどうだったか,誰がどんな支援をしたのかといった研究的な視点が出てきます.仕事をして,疑問に思ったことを調べる過程で,「研究」に繋がっていきます.
    特に児童養護施設での経験は,人の生活を深く知りたいと思うことができた機会となりました.

現場と研究をつなぐこと


━ 現場で働いていると,なかなか研究的な視点をもつ余裕がもてないという人もいるかもしれませんが,課題を研究として活かすために心がけていることはありますか? 

  •  私の場合,これまで研究しようと思って研究が始まるというよりも,目の前の出来事に対して,何か課題を見つけた時,指導教官や研究室の先輩方に話をし,学術的な面からアドバイスをいただいたことが,研究として取り組むきっかけになっています.これは過去の研究でここまで分かっている,でもこれは分かっていないから研究として扱ってみるか,実践と,研究両方の関係者と対話をする中で,テーマが絞られてきます.大学院に行き,助言をもらえる指導教授や友人等の存在ができたことは大きいです.以前より仕事もすごく楽しくなりました.今まで,いろいろな課題の中で,何から手を付けたら良いだろうって途方にくれていたのが,分からなければ調べる手段ができたからです.
  •  

━ 今は本庁に戻られたということですが,今後現場でのご経験をどのように活かしていきたいですか?

  •  本庁に戻ったのにも理由があります.児童養護施設で働く中で,公衆衛生の場で見えなかったことや,やはり食環境が変わらなければ行動は変わらないと思ったことがありましたし,子どもたちから学校や地域でこういうイベントをやっていたよと聞くこともある.それでもう一度,公衆栄養の現場に戻りたくなりました.子どもたちと朝から晩まで生活する中で,食環境の重要性にあらためて気づいたというのと,地域の中でこういう情報発信がされたら良いんじゃないか?といった考えが自分の中で出てきました.自分が地域で発信できる立場に戻りたいと思いました.現在,千葉県の大学や地元のスーパーなどと連携して若年期,青年期の食育の取り組みを進めているところです.これを足がかりに,食環境の整備をすすめたいと思っています.

ー 若手に期待すること,メッセージをお願いします!

  •  現場には,色々な課題があります.その地域に調査などで行ったときにはよく地域全体を観察してもらいたいなと.そして,その地域の背景も含めて,自分の研究テーマがどういう位置づけになるのかなということを,考えてもらいたいと思います.

(2017年6月 早稲田大学 大隈講堂にて,若手メンバー:小島,藤崎)

高橋先生の地域の人たちの食生活に対して深く関心を寄せる思いを聞いて,大変感銘を受けました.研究者として,現場から学び,立ち位置を理解することの重要性や,現場と研究の橋渡しとなることも大切であることを実感した若手の会メンバーでした.

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第17回  高橋 希先生  前編 
「健康教育に興味を持ったきっかけと,キャリアパス」 

高橋 希 Nozomi Takahashi

2002年東京農業大学栄養科学科卒業後,2002年千葉県入庁,2008年女子栄養大学大学院修士課程修了,現在は千葉県健康福祉部健康づくり支援課に所属.

きっかけは,大きな目標への第一歩


━ 奨励賞受賞おめでとうございます!受賞の喜びを教えてください!  

  •  受賞講演でも話しましたが,最初に受賞を聞いたときは現実味がなかったです.これまで,研究者という立場で受賞されている方が多い中で,私は研究を目的としているわけではなく,日々仕事を実践している立場です.学会で賞をいただいていいものだろうかと….喜びよりも戸惑いの方が大きかったです.荒尾先生が講評の際に,実践現場からの報告は重要ですといった趣旨のお話しをいただき,やっと受賞の喜びを感じました.

― キャリアパスについてお伺いします.はじめに健康教育分野に興味をもったきっかけを教えてください.  

  •  経歴は,大学卒業後,千葉県に入りましたが,栄養教育に本当に関心を持ったのは,働き初めてからでした.当初栄養や食生活の分野を目指したきっかけは,高校生の頃に興味を持っていた社会環境や貧困の問題であり,特に世界の食糧問題の視点からでした.その中でも貧困の子どもたちの経済的な問題や食糧の分配について関心があり,その背景にある教育の重要性については,理解していませんでした.当時は,食糧は困っている人たちに,どうやって届ければいいんだろう?こんな状況で何を食べればいいんだろう?といった視点で考え始め,食生活をより良くすることを学ぶにはどうしたらいいかと考え,選択した学部が管理栄養士専攻過程でした.そこでなぜ東京農業大学を選んだか?東京農業大学は栄養学だけでなく,生物の環境や,食料経済を扱う学科もあり,アジアの留学生受入れや農業技術や生産の面からも国際協力も担っている大学だったので,食料の生産面から学べるところに惹かれて選びました.ここまでが,管理栄養士の世界に足を踏み入れた一歩でした.

━ 千葉県への就職のきっかけは? 

  •  大学に入ってからも,やはり一番関心があったのは環境や貧困といった途上国の栄養問題でした.国際栄養の分野に携わる人になりたいとも考えていました.そうだったのですが,ちょうど学生の頃の2000年(平成12年)に健康日本21が始まったころでした.その中で,大学の先生に連れて行ってもらった日本栄養士会の講演で,健康日本21と国の医療制度構造改革についての講演があり,栄養施策が国の医療費問題に関わってくることにとても感激し,また管理栄養士が政策づくりに関わって,人の生活や経済に影響を与えるのか!と本当に驚きました.そこで,講演の中で重要な役割を担うとされていた都道府県の栄養施策に関わってみたいと思い,これまで自分が生まれ育ってきた千葉県で仕事をしてみようと思い,方向転換したのでした.

現場での小さな発見と交流の積み重ねからみえた課題


━ 就職してからはどのようなお仕事をされたんですか? 

  •  医療制度構造改革などと大きなことを頭に思い描いて保健所の管理栄養士になったものの,就職した当初は,あまりにも現場でやっているものが地道というか,地味だなと思ったんですよね.事務的な仕事もいっぱいありますし.理想と現実ではないですけれど,私の仕事,これでいいのかなと思っていました.さらに栄養教育って本当に誰かのために役立っているのかな?とか栄養施策って実際何をすることなんだろう?と,悩む日々でした.
  •  ところが2年目,3年目になって,地域で暮らす人やそこに存在する組織,機関など,つながりが出きてきた時,何となくこの時の仕事が,直接誰かの食行動を変えるには至らないけれど,周囲の環境は少し変わったといった事を感じられるようになってきました.例えば,地域の小中学校の栄養職員の方々と一緒に,給食施設の衛生管理に取り組んだことをきっかけに,食育活動も連携してやっていきましょうという流れができたといった感じです.自分が出て行った先でどんなことが課題になっているかといった小さい課題をいくつか集めたときに,あれ,他の人も同じ課題を持っていたという発見があります.そして同じ課題を持っている人たちをつないで,みんなで協力して栄養教育に取り組む楽しさを知りました.
    特に最初の勤務地は田舎だったので,1フロアにすべての課が収まっているようなところもありました.他部署の方たちともわいわい話しているようなところだったので,気軽に話ができる環境も良かったのかもしれません.
  •   そのような環境での話がきっかけとなって,一つの課題に多機関や多職種で取り組む機会も持ちやすく,試行錯誤ながら,やってみては,みんなで振り返ることを繰り返す.こう実践すると,こういう結果になったんだということをみんなで振り返る.「評価する」そこから「次の仕事をまた考える」それを面白いと感じるようになりました.でもそれを繰り返していくと何だか成長できていない自分に気づく.また同じところで失敗したっていうのが出てくるんです.評価しても前に進めない.


━ そのご経験が大学院へ進学するきっかけとなったのですか?

  •  現場の研究は手探りだと思っていました.他の自治体の取組を参考にすることが多いのですが,自分の地域と全く同じ状況ではない.それを採用しても,何となく行き当たりばったり感は続いてしまう.そういうものだと思っていました.どう情報を入手して選択していくか,事業に生かしていくか分からず,限界を感じていました.そして,思い切って大学院に行ってみようと思い立ちました.
    そこで問題が発生しました.千葉県職員なので,辞めたら公務員ではなくなってしまう.仕事は辞めたくないのですが,1年はしっかり勉強したい.これまで大学院等への進学を理由に休職する前例がなく制度もなかったので,何度も要望書を出しては取り下げられ,というのを続けた挙句,何とか承認をいただき,1年休職しました.私が休職することで,臨時雇用をしなければならないので県や職場にとっても大変です.しかし上司や周囲の方々が休職に関して,様々な制度を調べてくれたり,人事課に交渉してくれたり,そのおかげで大学院に行くことができました.その後,大学院に通うために休職できる制度もできました.当時,そのような流れがあり,そこにうまく乗れたのかもしれないですが,その当時の上司や周囲の方々が,人を育てることに熱心な方だったことにも恵まれました.
    キャリアパスでひとついえば,実践の場で仕事をする立場からですが,一度業務を経験し課題を見つけて大学院に行くのもありだなと思いました.就職したばかりの頃は,やっぱりもっと勉強してから働き始めればよかったと思うこともありましたが,現場での経験によって,何が分からないのかが明確になっていると,学ぶテーマも絞られます.今振り返れば,回り道ではなかったと思います.

(2017年6月 日本健康教育学会学術大会 大隈講堂にて)

インタビュー後編は,現場での業務と研究とのつながりや,若手へのメッセージをお届けします!(小島,藤崎)

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第16回 助友 裕子先生 後編「女性のライフイベントと若手へのメッセージ」 

博論を書きながらの子育て

━ 博士課程の学生の時にお子さんを出産されたのですか?

  •  そうです.社会人になるときつくなるから,学生のうちに産んだ方がいいと思ったんです.28歳の時に結婚して30歳近くになっていたこともあって.医学研究科4年間の博士課程の期間のうち,12年で大体筆記の方は終わったので,3~4年の論文を書く期間のうちに産んで,家で育児をしながら書こうと思いました.それで,指導教員の稲葉裕先生(現 順天堂大学医学部名誉教授)に「子どもを作ってもいいでしょうか」と相談しました.実はその前に講座の女性の先生方にもご相談したのですが「学生のうちの方が絶対いいわよ」と言われて,よし,大船に乗った,という気持ちで,いざ稲葉先生にご相談したわけです.そうしたら,稲葉先生はさらっと「私は推奨しますね」と言ってくださったんです.それで,3年生の1月に産むことができました.でも,実際は産んだらめちゃくちゃ大変で,とてもじゃないけれど,論文を書けなかったです.夜寝た後に,ようやくパソコンを立ち上げることができるのですが,そうすると泣くんですよ...もうしょうがないから最後の方は,片手で授乳しながら,片手でPCをたたいて博論を書いていました.稲葉先生から直接ご指導いただきたい時は,1時間おんぶして揺らしながら先生と会話して,ということもよくやりました.
  •  そんな感じでなんとか学位もいただけましたが,本当に博論でいっぱいいっぱいだったので,就活はできなかったです.ご縁があって1年間は順大でポスドクをさせていただき,その後,国立がんセンターへ行きました.ヘルスプロモーションなのに,なんでがんなの?と周囲からは不思議がられましたが,自分でも修行だと思いながら行くことを決めたんですよ(笑).でも,行くからにはきっかけがありました.当時,がんセンターの上司となった祖父江友孝先生(現 大阪大学医学部教授)のもとに,採用前に面接に伺った時のことです.「健康増進法もいいけど,がん対策基本法って知ってる?」と言われたんです.がん対策基本法が成立したのは2006年.祖父江先生との出会いはその翌年でした.稲葉先生の科研費で政府統計の解析を通じた格差研究班をご一緒させていただいたことがご縁でした.政府統計を解析すれば短期間で論文が書けるかもしれないけれど,君がやりたいのはそういうことではないでしょう,と私の本心を見抜いてくださったのだと思います.以降,がん対策の研究事業に携わらせていただいていたところ,がん教育が政策課題に浮上してきたあたりから,ブーメランで今の業界に戻ってきた感じですね.今思えば,自分のやりたいことをやらせてもらえてきたなって思いますね.


― 子どもを産みながら博論を進めることができるなんて,驚きです!

  •  稲葉先生をはじめ,夫も週末になると子どもを外へ連れて行って3時間くらいベビーカーを走らせてくれたり,お姑さんも協力してくださいました.そういう周りの協力がなかったら,このような賞もいただけなかったと思います.私は恵まれているのだと思います.

部活の先生に憧れて・・・

━  元々保健体育の先生になろうと思ったきっかけは何ですか?

  •  体育大学にはよくある,部活の顧問の先生みたいになりたいと思ったのがきっかけです.ずっとソフトテニスをしてきて,中・高の顧問の先生に憧れていました.高校時代の顧問の先生は,保健体育の教員でもあり,人間的な付き合いをしてくださったんです.そこで,改めて,「よし,体育の先生になろう」と思いました.さらに,大学の講義では,大津一義先生(現 日本ウェルネススポーツ大学教授)の初めての講義でのお言葉を肝に銘じています.それは,「体育の教員なんていない.君たちが目指すべきは,保健体育の教員だ」という一言です.この言葉が印象に残り,今では,それを教職課程科目の初回に学生に伝えることにしています.

貫くこと,そして,人とのつながりを大切に

━ 若手へのメッセージをお願いします!

  •  遠回りをしてきたので,何ともいえないのですが,良くも悪くも,周囲から言われるのは貫いていると..研究という意味では,貫くことは悪いことではないと考えています.研究テーマは研究室によっては指定されるかもしれませんし,方法論もその時々の研究デザインの限界によって変わってくるかもしれませんが,自分がやりたいテーマ,コアとなるもの,ヨコ串になるテーマを持つことが,健康教育やヘルスプロモーションの分野では大事だと思います.
     私の場合,根幹となるテーマはパーナトーシップ.ヘルスプロモーションのプロセス戦略のひとつである調停(分野を超えて協働する)というもので,それがわたし流のヨコ串なんだと思います.そんな私がよく思うのは,私の仕事は隙間産業だなと.行政の人から,「何者ですか?(女性だから)保健師さん?」と見られることもありますが,「専門職じゃなさそうだね,でも,なんか行政事情知っているよね」と言われるんです.それが自分の強みだと思っています.例えば,行政に就職するとしたら,栄養分野なら(多くが)栄養士,看護分野なら保健師,のようなレールが敷かれていると思いますが,私のように医療系以外の分野の人なら,多くが一般事務職になるかと思います.事務職はいろいろな分野を回れるだけに,ジェネラリストとしてヘルスに関心を持てることは,ヘルスプロモーション展開上,とても強いと思うのです.こういう学生を育てていくのが夢ですね.そこが自分の強みだと思っていますから.それぞれの分野のノウハウを,異なる分野にも生かすことは大きな労力が必要ですが,それがヘルスプロモーションの醍醐味です.でも,結局は体力のある若いうち,特に学生時代にそのような分野間交流を積極的にやっておくと良いのではないでしょうか.じゃないと,年取ってからだと名刺交換から始まって仰々しくなり,仲良くなるのに時間がかかりますよ(笑).若いうちの方が垣根を越えやすいと思います.もちろん,社会人になってからしばらくは昔の友達との関係が疎遠になることもありますが,ご縁があれば大人になってまた出会い,「おー,久しぶり!」となります.お互い成長した時に,仕事が一緒にできる楽しみもあります.私は,ここ最近そういうのが増えてきましたね.日本健康教育学会にも,その「同士」がいます.これが若手の皆さんにお送りできる唯一のアドバイスでしょうか.


━ 自分をつらぬくことが難しい時はどうしていましたか?

  •  自分の使命は,研究すること+自分のスタイルである協働することだと考えています.風あたりの強さには,いい意味で鈍感なのだと思います.色々言われてきましたがが,少なくとも理解者もいて,そのような方たちに恵まれて研究をしてこられたと思います.自分がやりたいことを提案していけば,必ず一人くらいは応援してくださる方がいる.それがパートナーシップの研究をしている私の理屈です.

(2017年6月 日本健康教育学会学術大会 大隈講堂にて)

女性研究者の先輩から貴重なお話を伺い,大いに感銘を受けた若手の会メンバーでした(新保,ワン,小岩井)

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第15回  助友 裕子先生  前編 
「これまでのキャリア」 

助友 裕子 Hiroko Yako-Suketomo

2007年順天堂大学大学院医学研究科博士課程修了後,2008年国立がんセンター(現国立がん研究センター)リサーチレジデント,2011年同センター研究員,2013年日本女子体育大学体育学部准教授,2017年同大学教授に就任.

現場第一主義の研究

━ 奨励賞受賞おめでとうございます!受賞の喜びを教えてください!

  •  ありがとうございます!とてもありがたいと思っています.ありがたい一方で優秀な若手の皆さんには申し訳ない気持ちもあるのですが,もうすぐ奨励賞の条件に年齢が迫ってきているので,それを察した先生方が拾ってくださったと思っています.それにしても,昨日の夜は眠れなかったですね.これまで,研究デザインは現場に合わせる主義でやってきました.コントロールを設けるエビデンスレベルの高い研究をやろうとすると,現場の事業と足並みを揃えることができなくなるんです.日頃の現場のルーティーンを崩すことなく,いかにすき間に入り込めるか,あるいは協働できるかということが私の研究のポリシーなんです.でも,それがかえって,ちゃんとしたデザインで研究をやらない,やってこなかったところが,奨励賞をいただいて良いのかなという気持ちに繋がっていたと思います.


― 先生の奨励賞受賞講演を伺って, 現場を優先した研究に感動しました!

  •   ありがとうございます.研究費が終わったら,そのプロジェクトも終わり,では意味がないんですよね.いかにそれをきっかけとして行政が自分で予算化して回していけるかが大事で,私はきっかけ作りに携わりたいと思っています.そのきっかけ作りとは,現場の方々が感覚的にお感じになられている「この事業には価値がある」ということをエビデンスとして客観的に説明する,=論文にすることだと思っています.

━ 現場を大切にしようと思ったきっかけはありますか?

  •  ルーツは島内憲夫先生(現 順天堂大学国際教養学部副学部長).学部,修士,助手の間の10年間,島内先生のお世話になりました.先生は講演活動などを通して色々な自治体に連れて行ってくださいました.その時に,現場の保健師さんにお会いしたり,食生活改善推進員などの保健ボランティアの方々にお会いしたりしました.そのような場所へ初めて行ったのが,修士の時だったのですが,青森県の階上町に1泊した帰り際に,保健協力員の方々がお別れパーティーをしてくれたんです.すごく感動して,泣いて,こういう活動があることを初めて知りましたし,学生ではなかなか地域保健組織活動に触れ合う機会もありませんでしたので,すごく新鮮でした.それまでは保健体育の教員になることしか自分の世界観の中にはなかったと思いますので,島内先生に世界観を広げていただいたと思っています.それが原点で,今でも新たな研究をスタートをさせる際には,必ず現場に足を運ぶようにしています.途中に妊娠・出産など自分のライフイベントもあって,思うように外に出られなくなり,政府統計など数字ばかりを追いかけている時もありました.でも,かえってそのような時間があったことで,客観的な学びもあり,再び色々な人との出会いで,現場といかに協働するかを考えるようになりました.その方が自分も楽しいんです.私は研究者として研究活動を軸にしますが,現場の方々は価値ある住民サービスをいかに事業化できるか,予算を付けられるのかが日々の仕事の軸になります.そのような現場との接点を探ることを通して,win-winの関係を築くことができるのが私は楽しいのでしょうね.

教育実習で感じた違和感と研究の面白さ


━ 大学を卒業してから大学に残ろうと思った理由やきっかけはありますか.

  •  最初は保健体育の教員になりたかったんですよ.加えて特別支援学校の教員免許課程も履修していました.特別支援の教育実習に行っている時,土曜の午後に先生方がランチに誘ってくださったんです.喜んで行ってみたら,先生方がレストランにジャージで来たんですよ.レストランにジャージですよ!(笑)違和感がありました.学校の先生って,学校では生徒,生徒って一生懸命だけれど,地域に行くと視界が開けないのかも,とさえ思いました.生徒は学校に行くまでに地域を通って地域の人に理解されながら来ている.だから生活の場全体に教員も気を配らないといけないなと思いました.そう考えると,その時の自分には,そうなれるだけの自信はなかったですね.これはもっと勉強しないとだめでしょうと思っていたら,ちょうど島内先生から「すけちゃん,大学院もあるよ」と声をかけていただいて,いとも簡単に「よし,じゃあ大学院に行こう!」と進学したわけです.そうしたら研究がすごく面白くて,もっとこちらを勉強したいなと思って,保健体育の中でも保健分野の方にのめり込んでいきました.
     今となっては,学校の保健体育の授業でも,ヘルスプロモーションの視点で地域の保健活動を学ぶ内容が入ってきているので,学生さんにフィードバックできていますが,院生時代は,何も考えず,ただ楽しいと思ってやっていました.でも,研究を進めている途中,保健体育の教員になりたかった自分はどこへいったんだろうなんて思うこともありましたね.さらに,若いうちは色々あるじゃないですか・・失恋したあかつきには,「今は研究をやるしかない!」って集中したりして.当時Windows95の時代で急に画面が黒くなってPCがフリーズしたりして.「もう,神様助けて!」と思った時もありました(笑).そんな時に私情を知る周りの友だちや先生方が支えてくださったりして,無事に修士を卒業することができました.もう,これはしばらくこの研究をやるしかないでしょうという雰囲気もあって研究を続けることとなり,大学に残って助手になりました.

━ 周りの雰囲気もあったのですね.

  •  そうなんですよ.そしてその時に,順大で第9回の健康教育学会があって,ヘルスプロモーションの産みの親のイローナ・キックブッシュ博士が特別講演でいらっしゃいました.当時,私は事務局を手伝っていましたが,そこで,事務局長だった島内先生が「今度,裕子が勉強しに行くからね」って紹介してくださったんです.その一言がご縁で助手の間,キックブッシュ博士が教授をつとめられていたイエール大学に1年間だけ客員研究員で勉強させてもらえたんです.そうしたら,世界のヘルスプロモーション事情を知るにつれ,もっとヘルスプロモーション研究を深めたいと思うようになりました.この時には,研究の道へ進みたいという気持ちが強くなっていて,「やっぱりドクター行かないとでしょう」と考えていました.修士は目の前の調査をこなすことに精一杯でしたが,自分で研究デザインを考えて,現場の人ともやり取りができて,という交渉スキルをもっと身につけないといけないなと思ったんですよね.それで帰ってきてから博士に進学しました.そうすると,どんどんどんどん,ブーメランのように自分が元々やりたかった保健体育から離れていって,気づいた時には子どもを産んでいて,毎日があっという間に過ぎていきましたね.

(2017年6月 第26回日本健康教育学会学術大会 大隈講堂にて)

インタビュー後編は,出産子育てのお話や若手へのメッセージをお届けします!(新保,ワン,小岩井)

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第14回  荒尾 孝先生  後編「健康教育分野を担う若手へのメッセージと学術大会への想い」

21世紀は医療に並んで“学問”と“人材育成”が達成されなければならない,その中心にあるのが健康教育

━ これからの健康教育分野への願いはありますか?

  •  20世紀は寿命を延ばすことに貢献してきた“医療”に対して,21世紀は延びた寿命の中身,つまり生活の質を担保するのが“健康づくり”に関わる学問だと思う.医療や臨床と同じくらいの実績が出てきてほしい.2035年問題もあるし,それが若手の使命だよね.

目の前のことだけでなく,10年後の目標も大切に

― 若手の実践活動者・研究者への応援メッセージをお願いします!

  •   健康教育といっても僕の中では「健康づくり」にこだわっている.それはこれからの「健康づくり」っていうのは個人だけではなく,大きな成果につながる研究をしてほしい.そのために必要な能力などを身につけていってほしい.自分がプロジェクトを組めるような年代になってきたら,大きな社会的成果をあげれるような研究ができる,という目標を志して.目の前の研究も大切だけど,10年一区切りくらいの目標ももつことを忘れないでほしい.そうしないとロマンがなくなっちゃうよね(笑).研究はロマンがないと!「俺が日本の社会保障制度を立て直してやる!」そういう熱い思いが大事.

━ 若手研究者が研究費を獲得するためのポイントを教えてください.

  •  「科研費に採用される」というのは,論文のように業績のひとつになる.この分野に限らないけれど,研究費の獲得のためには大きく2つあると思う.
  •  1つはオリジナリティーのあるアイデア,もう1つは「具体的に書き,実現可能性をアピールすること」.
  • いくらよい研究計画であっても,実際にできるのか,どこで実施するのかあるいはフィールドとの関係性,過去の実績などが反映されているか,という点については,これまでの審査委員の経験でも,注意してみるところだね.

━ 若手研究者がフィールド開拓するのはとても大変ですよね.何かアドバイスはありますか?

  •  そうだね.初めから自分のフィールドを持つのはとても難しいことだと思う.一番いいのは,大きなプロジェクトに入って経験を積む,つまり自分でフィールドを開拓するための経験を積むということだね.注意しなければならないのは例えば,行政と研究者は常に平等でなければならない.上下関係はなし.give and take ともいうかな.最初は相手に貢献することを惜しんではいけない.その相手への貢献は信頼関係を築くことにつながる.そうすればお互いの要求を通しやすくなる.現場というのはなかなか大変.とても多忙で,皆が研究をやりたい!と思っているわけではない.まぁ,最初はgive give give という感じかな?(笑)でも若手でもフィールドの開発にもっと力を入れてもいいんじゃないかなと思うこともあるよ.

━ 他分野共同研究の際に気をつけていることは何ですか?

  •   他分野の研究プロジェクトリーダーは,研究に対する熱意,つまり研究を実現するためのエネルギーをもつ人材に声をかけたいと思うよね.若手は研究の一メンバーとして役割を担い,全うする,能力をどうつけるかが大事.だからプロジェクトリーダーから声をかけてもらえるような,人材になっている,準備しておくことも必要だよね.もちろん自分をアピールすることも.そうすればフィールド開発にもつながるし,自分の将来,4050歳代にプロジェクトリーダーとして進めていかなければならなくなったときにも,この経験は役に立つ.特に公衆衛生分野は一人でやるものではなくチームでやるもの.いい研究をやろうと思えば思うほど,一人では出来ない.まずは早い時期から何かのプロジェクトに入れてもらえるような人間関係を築いて,仕事を進められる人材になっていること.
  •  研究に必要なことを認識し,実行すること.例えば自分の研究分野を突き詰めていくと,新しい統計解析が必要になる場合もある.その場合は他分野の専門家を巻き込むことも必要だよね.研究には妥協しない.

━ 学術大会にむけてのメッセージをお願いします.

  •   中村  荒尾先生  根本 引き受けたからには「僕にしかできない学会を」という想いをもって進めています.健康づくりの社会的使命を全ての人が認識し,社会的成果につながるような分野にしていかなければならないと思っている.こういう想いを込めて,学術大会のプログラムを組んでいる.世界的にも国内的にもすばらしい研究者を呼んでいます.もっと色んな人を呼びたかったけれど,二日間という限られた時間で最大限のプログラムを構成できたと思う.足りない部分は,学術大会の前日の企画を用意しました.ぜひ,参加してくださいね.健康教育分野では,まだまだ若手が目立たない.若手が育ってほしい.活動してほしい,活躍してほしい.そんな学会になってほしいからね
  •  今後の国際化も合わせて考えていかなければいけない.プログラムにもあるように,特に日本が先行している超高齢社会というのは日本を中心とした中国,韓国,台湾などの4カ国に集中している.極東アジアの問題といってもいいくらい.各国自国の問題解決や利益を優先にする政治はぶつかり合いを生んでしまう.第3次世界大戦を未然に防ぐためにも世界的な流れを踏まえながら健康づくりを進めて行きたい.

(2016年12月 早稲田大学早稲田キャンパス にて)

荒尾先生からは,健康教育への願い,若手への応援メッセージをいただきました.先生の重いが詰まった東京大会に是非ご参加ください.(中村,根本)

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第13回  荒尾 孝先生  前編 
「将来の健康教育分野への願いと学術大会への想い」 

荒尾 孝 Takashi Arao

1970年福岡教育大学教育学部卒業.1974年順天堂大学大学院体育学研究科修士課程修了.財団法人・明治生命厚生事業団体力医学研究所勤務.2005年早稲田大学スポーツ科学学術院教授に就任、現在に至る.

ポピュレーションアプローチに対するこだわり


━ 先生の今取り組んでらっしゃる研究内容を教えてください!

  •  現在は、地域全体の健康レベルを上げる方法と評価について研究している。具体的には、地域高齢者全員を対象とした生活実態調査を実施し、膝痛や抑うつ、認知症をターゲットとした介護予防プログラムを開発している。

━ 「地域全体を対象とした研究」という点にはこだわりがございますか?

  •  そこには非常に強いこだわりがある。10年くらい前まではハイリスク者を対象として行動変容による生活習慣病予防がメインであったが、ベビーブーム世代が後期高齢者となる2035年に向けたこれからの健康づくりにおいては、ハイリスクアプローチだけでは大きな社会的成果を挙げることができない。これからの研究においては医療費や介護費の抑制による社会保障制度の維持といった社会的成果に貢献できる研究が求められる。そのためにはハイリスク者だけでなく、全ての人を対象とした研究の実施が重要であるので、強くこだわっている。そのこだわりが今回の学術大会のテーマに象徴されている。

キャリアパス


━ 先生のこれまでのキャリアパスを教えてください!

  •  両親が学校の先生であったこともあり教育学部に入った。
  • 教師になりたかったわけではなく、卒業単位もギリギリだった。
  • 卒業前に「自分が何をやりたいのか?」を考えた時に、途上国への支援事業を通じて国際問題解決に貢献したいと考え、青年海外協力隊を目指した。でも、2年待っても海外には行けなかった。このまま待っていても仕方ない、自分から仕掛けなければ!と考え、新たな道を目指すことにした。
     次に何をやりたいかを考えた時に、思い浮かんだのは勉強だった。僕たちが学生の時には学生運動真っ盛りで、ほとんど授業なんか受けられなかったから、改めて何かをしっかり学びたいと思った。それを実現するために大学院に入った。この頃に研究者として生きていくことを考え始めていた。

  •  大学院では石河利寛先生の研究室に入り、運動生理学について研究していた。この頃は猛烈に勉強したね。就職は石河先生の紹介で明治安田厚生事業団に入ることになった。タイミングが良かったんだね。
     研究所ではそれから57歳まで働いた。最初は生化学分野の研究をしており、ずっとマウスの研究をしていた。生化学でも結構楽しくやってたんだけど、40歳ぐらいの時に保健師をしている妻から糖尿病罹患者を対象とした健康教室を頼まれてやることになり、健康教室と参加者の自主活動グループ化をし、それが初めての健康教育の仕事となった。それまではいつもマウスの研究をしていたけど、健康教育を通じて人の健康に貢献できることを実感できたのは非常に大きな喜びだった。その後、40代中頃に生化学から公衆衛生分野へ大転換することとなった。40代は研究者として一番専門性が高められる良い時期だし、そんな時に分野を変えるなんて非常に珍しいと思うけど(笑)。当時の仲間から「見事な転身ぶりですね」って言われたこともあったなぁ.
     疫学分野において成長することができたのは、柳川洋先生との出会いが大きいね。厚生労働科学研究費補助金の公募が始まった年に申請書を出したんだけど、初めてやるものだから勝手がわからない状態で、申請した分野と申請書の内容がずれていて採用はされなかった。でも、審査委員の先生が柳川先生に「面白い研究をしている人がいるから面倒をみてあげてほしい」と紹介してくれたらしく、柳川先生の研究グループに入れることになったんだ。その時期に人間関係の構築や本格的な疫学手法について勉強をすることができたね。
     50歳を過ぎ、研究者人生最後の仕事は、人材を広く育成することが自分の使命と思い始めるようになった.ちょうどその時期に早稲田大学スポーツ科学部から誘いを頂いた。すぐには難しかったけど、3年待ってもらい、その話を受けることにしたんだ。

(2016年12月 早稲田大学早稲田キャンパス にて)

インタビュー後編は,先生の健康教育分野のへの願いと,若手への応援メッセージを届けします!(根本,中村)

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第12回  林 芙美先生  後編「キャリア形成と若手へのメッセージ」

研究者としてのキャリア形成

━━ 学位取得後から現在までのキャリアパスの詳細ついて教えてください!
 
 食生態学研究室の院生・スタッフと修士課程を修了し、米国登録栄養士の資格を取得したのち、帰国しました。その後、東京医科歯科大学大学院に進学し、博士課程を修了しました。博士課程の在籍期間中は、当時の独立行政法人国立健康・栄養研究所で、学童期の子どもや妊娠可能な年齢の女性を対象とした介入研究や、国民健康・栄養調査データを用いた観察研究に従事しました。
 学位取得後は、国立保健医療科学院や女子栄養大学でポスドクを経験しました。今回の受賞のきっかけとなりました特定保健指導に関する研究は、女子栄養大学で特別研究員をさせていただいた際に始めた研究です。その後、千葉県立保健医療大学にて教育・研究に4年間従事したのち、現在の所属である女子栄養大学に専任講師として着任いたしました。

 教育面では、管理栄養士養成課程において栄養教育分野の教育を行っています。研究面では、前述させていただいた特定保健指導に関する研究のほか、健康の社会的決定要因に関する研究や、大学生の保健教育の一環として結婚や妊娠時期計画支援に関する研究にも関わる機会もいただきました。現在は、女性の健康の社会的決定要因の研究に従事しています。



学生時代または若い頃にしておいてよかったと思う若手へのアドバイスがあれば、教えてください!
 
 若い頃に「しておいてよかった」というのは全ての経験が該当するので、無茶な経験も失敗も全て今思えばよい経験です。大学進学時も、学びながら専攻を決めることができる点がきっかけとなり、アメリカに留学しました。もともとは政治や経済に関心があったのですが、途中で栄養学を学ぶ決心をし、大学も転学しました。留学中は悔しい思いもしましたが、視野も広がり、修士課程も含めて僅か6年間という短い期間ですが、努力した分結果が返ってくるといった充実した日々を過ごすことができました。
 ただ、「もっとしておけばよかった」と思うことは、苦労してデータを得るような経験でしょうか。研究者としてのトレーニングは帰国してからですが、若い頃もそれなりに地方などにも出かけたり、介入研究に携わるなどの機会などもありました。しかし、何日も泊まり込みで特定の地域の調査をするなど、自分の足を使って調べる経験をもっと積んでおきたかったと思う気持ちもあります。
 自分の時間を100%使えるのは若い頃だけだと思います。仕事を始めれば関連する諸々の仕事・業務なども増えますし、女性の場合は特に結婚や出産などを経て役割が増えると、その分自分のために使える時間はどんどん減っていきます。もちろん、今の経験全てが将来の自分の糧にはなっていきますが、やはり気力も体力も十分な若いうちに、結果を気にすることなく、存分に色々な経験を積んでいただきたいと思います。そして、時間を有効活用する中で、プライベートも充実させて、エネルギッシュで楽しい時間を過ごし、人生を豊かにしていくことが研究にも生きてくると思います。

若手のうちは、少し無茶なことにもチャレンジできる時期ですね.
林先生,お忙しい中,貴重なメッセージを頂きまして,ありがとうございました.
(中村,根本)

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第11回  林 芙美先生  前編 
「健康教育に興味を持ったきっかけ」 

林 芙美 Fumi Hayashi

1999年University of Delaware卒業.2001年Teachers College, Columbia University修了.2008年東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科博士後期課程修了.千葉県立保健医療大学健康科学部栄養学科 講師を経て、2015年4月から女子栄養大学栄養学部の専任講師として研究・教育に従事.

今回のインタビュー記事は、若手の会の担当者がメールや電話でご質問し、林先生に原稿を執筆していただきました。
若手の会では全国各地にいらっしゃる先生方とのインタビューの方法を検討中です。
林先生、若手の会の新たな試みにご協力くださり、ありがとうございました!

健康教育分野に興味をもったきっかけ


━━ 当学会の奨励賞受賞おめでとうございます!受賞した喜びを教えてください。

  •  ありがとうございます。このたび、多くの先生方のご指導のおかげで、奨励賞を受賞できたこと大変光栄に存じます。
     受賞演題名は「行動変容を促す効果的な生活習慣病予防の指導に関する研究」です。主に特定保健指導における減量を目的とした支援について研究した成果をご評価いただきました。
     特定保健指導を受けて減量に成功された方や、思うような結果につながらなかった職域男性を対象にインタビュー調査を行い、探索的に関連要因やそのプロセスを明らかにしました。また、量的研究も組み合わせ、得られた知見を基に作成された保健指導者向けの支援ツールの有効性を検証いたしました。本研究は、厚生労働科学研究の一環として実施したものですが、多くの先生方のご助言をいただきながら、初めて質的研究にも取り組みました。膨大な記録の切片をもとに、それらを積み上げてストーリーを構築していくプロセスでは、理論的に概念が体系化されていくことに喜びを感じつつも、分析や論文執筆において多くの苦労もありました。
     その度に、ご助言下さった諸先生方に、この場をお借りして深く御礼を申し上げます。今後、さらに研鑽を積み、貴学会でもまたその成果を発表させていただきたいと思っております。



━現在の研究あるいは健康教育分野に興味をもったきっかけについて教えてください。

  •  専門は栄養教育ですが、この分野に興味を持ったきっかけは学部時代にさかのぼります。
     大学はアメリカに留学しましたが、そこで「物」の栄養学ではなく「人」の栄養学に出会いました。それまでの私は、栄養学とは、栄養素や食品構成といった、何をどう食べるかといった食事の質が重要で、その情報を伝えたり、食事を届けることが栄養士の仕事だと思っていました。一時帰国をした際に実習させていただいた大学病院でも、栄養管理の中心は食事療法の遵守といった印象を受けました。
     一方、アメリカの大学では、行動科学の理論に基づく栄養教育の在り方や対象者主体の栄養カウンセリングを学びました。食事の質が重要であることは変わりませんが、その選択や準備においては知識だけでなく価値観や意欲、過去の経験といった様々な要因が関連しており、さらに周囲の人や地域等との関わりが食生活に影響をもたらすため、働きかけやきっかけづくりが重要であると考えるようになりました。そこで、栄養教育をさらに勉強するため、その専門大学院として歴史のあるコロンビア大学教育大学院に進学しました。

次回のインタビュー後編は,先生が歩んできたキャリアと,若手へのメッセージを届けします!(中村,根本)

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第10回  高倉実先生  後編「キャリアと若手へのメッセージ」

自分が進んできた道を信じて,貪欲な気持ちが大事


━━━ 筑波大学進学の動機,卒業後の進路について教えてください!

  •  私は中学,高校とラグビーをやっていてね.大学でもラグビーがやりたくて,筑波大学に進学した.4年間ラグビーに打ち込み,学部卒業後は,修士課程に進学した.修士課程のコースには「体育学」,「コーチング」,「健康教育」というテーマがあったけど,体育学やコーチングはあくまで「実技」.僕が打ち込んでいたラグビーも,競技であって,健康のためではない.修士課程のコースの中でも,人の健康づくりに興味があったから,健康教育のコースに進んだ.


━━━保健・体育の先生の道には進まなかったのですか?

  •  大学4年の就職活動の時期に,保健・体育の教員になろうと思って教員採用試験も受けた.でも,「自分にはまだ足りないものがある,研究に未練がある」と思い,修士課程に進むことにした.この時の決断が私の人生の分岐点かな.修士課程の研究テーマは,学生を対象とした保健行動論.今では街中にあふれているフィットネスクラブや健康教室などの健康づくりの場はまだまだ少ない時代だったから,保健体育で健康と言えば学校保健だった.それからずっと専門分野は学校保健.


チャンスを逃さずトライ!する勇気


━━━琉球大学に就任したきっかけは何ですか?

  • 修士課程を修了して,就職先を探していたタイミングで公募があった琉球大学にトライ!した(笑).タイミングも大事だけれど,チャンスだと思うことがあったら挑戦してみたほうがいい.そういう私は,実は就職するまで沖縄に行ったことがなかったけれどね(笑).
  • 就職した琉球大学は講座制ではなく,助手でも一人で授業や研究を進めていかなければならなかった.私は共同研究チームを組まずに,自分の好きな研究を独自に進めてきた.大変そうに思えるけれど,これが私の性に合っていてね.それでも,約30年間,今まで研究を続けてこられたのは,沖縄の風土や雰囲気が合っていたのかな.今では何千人もの人から調査の協力を得ることができるようになった.今の私の歳からでは,こんな素晴らしいフィールドを作ることは難しいよね.




━━━学校への調査の協力はどのように得ることができたのですか?

  •  琉球大学に来た初めの頃,▲▲高校には○○先生がいる,■■高校には○○先生がいる,というふうに知り合いの先生にお願いしていた.僕はラグビーをやっていたから,そのつながりがとても役に立った.たいていの高校には陸上部があるから,陸上部の顧問の先生にお願いしたこともある.そうしてだんだんと広がっていった.今度の学会で事務局長をお願いしている教育学部の宮城政也先生は,沖縄のほとんどの高校の先生を知っているので,サンプリングの協力をお願いすることもある.これは沖縄の研究者の強みかもしれない.2002年,2005年,2008年,2012年,2016年(予定)の計5回は,全県の約半数,つまり25~30校の高校を抽出して(各学年1クラス),約3000人強のサンプリング調査をすることができた.日本でこういうことができる環境は少ないと思う.


先を見据えて行動することが大切


━━━ 若手研究者にアドバイスを下さい!

  • 論文を書くこと.そして,査読のある雑誌に投稿すること.納得できない査読もあるけれど,「なるほどな」と思う査読もある.何よりも,誰かに指摘してもらわないと分からないことがたくさんある.大学院生のうちは指導教員がいて,就職しても講座制なら教授の先生に指摘してもらうことができると思うけれど,そういう環境がない人は,査読者を指導教員だと考えるのも一つの手だと思う.実際,僕はそうしていた.論文が掲載されれば実績にもなる.できれば国際誌に挑戦してほしいかな!
  •  あと,チャンスがあればいろんなフィールドに関わると良い.僕は一人でやるのが好きだったから,なかなか機会がなかった.僕らのような人を対象にしている疫学分野は,フィールドがなければ研究ができないでしょ.参加できるプロジェクトがあればできるだけ参加したほうがいいと思う.



━━━ 若手の頃研究費に困ったことはありませんでしたか?

  • 教養部にいた頃は,学内の運営交付金が潤沢にあったので困ったことはあまりない.もちろん,それだけでなく競争的資金にも応募していたよ.メインの学校保健研究だけではなく,興味のあること,面白いと思うことはできるだけやってきた.ボートセーリング(ウインドサーフィン)の研究やラグビーのレフェリーの運動強度の研究も競争的資金をもらってやっていた.だれもやっていない研究だったから,論文を書いた.研究費がないなら獲るしかない.科研費だけでなく,民間企業の助成金,自治体の助成金などに応募することが大切だと思う.若手のうちしか応募できないものもあるし,競争的資金を獲れば実績になるので,次の競争的資金を狙う時にもつながる.


━━━ ずばり,どうすれば採択されますか・・・?

  • 申請の時期になったら真剣に考えて,真面目に書くしかない.僕の場合は審査員をやっていたことがあるから,審査のポイントも心得ている.当たり前であるが,まずは応募する競争的資金の目的をしっかり把握して,評定項目それぞれに応えるように書いていくこと.もちろん研究実績も重要で,とにかく論文投稿や学会発表をたくさんしておくと良いと思う.ここで大切なのは,今行っている研究が次につながるように,「ストーリー」を考えておくこと.例えば僕は,科研費を獲った時から次の科研費のことを考えるようにしている.
  •  その他にポイントだと思うのは,分野外の人が見ても分かるように書くこと.僕は一通り申請書を書き終えたら,小学校の先生をやっている妻に見てもらうことにしている.この内容だったらお金をあげても良いと思うかどうかを聞く.あんまり良いとは言ってくれないけれど(笑).「この部分はさっぱり意味が分からない」とかは言ってくれるよ.

(2016年5月 女子栄養大学駒込キャンパス にて)

高倉先生から,健康教育への熱い想い,若手へのメッセージをいただきました.沖縄大会を終えて,次の課題は論文を書くことかな,と気合を入れる若手の会メンバーでした.(新保,町田,中村)

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第9回  高倉 実先生  前編 
「学術大会への想いと沖縄県の健康課題」 

高倉 実 Minoru Takakura

1981年筑波大学体育専門学群卒業,1983年筑波大学大学院体育研究科修了.1983年琉球大学教養部助手,講師を経て,1997年より琉球大学医学部助教授,2005年同大学教授に就任.


沖縄の人には健康教育を,学会に来た人には沖縄のことを,知ってもらいたい



━━━ 学術大会へ向けた想いを教えてください!

  •  沖縄県の大学の教員としては,沖縄県で学会員を増やすとか,少しでも沖縄の人が発表しようと思うとか,日本健康教育学会の認知度を高めていきたいという想いが一番大きいかもしれない.日本健康教育学会は研究分野がなんでもありの学会でしょ?それぞれの専門分野の人が,それぞれの専門の学会を作って細かく活動することが多いけれど,日本健康教育学会には医歯薬,保健体育,栄養,看護,保健師など,色々な分野・職種の人がいる.様々な専門家が集まって発表する機会を沖縄県で設けることに,大きな意味があると思う.
  •  今回は沖縄県で開催するので,沖縄に関するシンポジウムを入れた.みなさんに,改めて沖縄のことを知ってもらおうと思っている.
  •  みんなは,沖縄の健康課題について知っていますか?

━━━ ええと・・・


貧しくも長生きだった沖縄県の不思議

  •  沖縄は今まで長寿県で,それはみんなが知っていると思うけれど,現在の詳しい状況を知ってもらおうと思う.沖縄は,年間所得が最低で,進学率も低いし,失業率は高くて,経済状況がよくない.経済状況が悪い所は平均寿命が短く,健康状況も悪いことが多い.でも沖縄は貧しい県なのに,何年か前まで,日本で一番長寿だった.これは社会疫学的におかしいことで,沖縄は特殊な地域.僕達は昔からおかしいな,なんでかなと考えて,気候のせいとか,食べ物がいいとか,社会的な繋がりがいいんじゃないかという話をしていたけれど,これまで学術的に追及して書かれた論文は少ない.これは僕らが作らないといけない!ということで研究を進めてきた.まだまだ足りないこともあるけれど,ひとつずつそういう知見を知らしめたい.沖縄は世界でも注目されている.医学研究科の地域疫学セミナーでイチローカワチ先生を呼んだことがあってね.イチローカワチ先生は僕達と同じように「食べ物や遺伝子とはちょっと違って,社会的な繋がりがやっぱり重要なんじゃないか」と話していた.今回の学会のテーマも「結で作る健康教育」という名前を付けたんだけど,沖縄には「ゆいまーる」という言葉が昔からあって,なにかあったら助けるという助け合いの精神が強い土地柄なので,それが健康悪化のバッファーになっているんじゃないかと考えている.
  •  それから,同じ遺伝的素因を持つ沖縄県民でも,高齢者,僕ら世代,若者という戦前,戦中,戦後の時代の変遷の中で,戦前の人は長生きする,戦後の人は早く死ぬ.同じ沖縄県民の遺伝子だけれど,時代の変遷と共にこれだけ劇的に変化している.これでは遺伝子だけの問題とは言えないでしょ.
  •  DOHaD説(Developmental Origins of Health and Disease)じゃないのっていう話もあって,沖縄県は昔から低出生体重児が多くて,胎内環境が悪い中で生まれた子どもが,米国化された沖縄の食事をたくさん食べて一気に太ってしまい,僕ら世代は早く死んでしまうということも考えられる.今も低出生体重児は多いから今後も続いていく可能性がある.でも,イチローカワチ先生が言うには,この状況は男性にはあてはまるが,女性にはあてはまらないのではないかと.「330(サンサンマル)ショック」って,わかりますか? 都道府県別の生命表が5年おきに出されているけれど,その平均寿命の順位をとって,なんとかショックって言っている.沖縄は1995年より前まで男性も女性もずっとトップだった.でも1995年で男性が4位になった.県としては,4位でも長寿だったので,1995年に世界長寿地域宣言をして,順位が下がるのを食い止めようと思ったけれど,2000年に,男性が26位まで落ちてしまった.これが「26ショック」.でも女性はまだトップ.それから下がってきていて,2010年に男性が30位,女性が3位になった.これが「330ショック」.僕は色々な所で,「沖縄県民は330ショックでサンザンな目にあっていますね」と言っているわけ(笑).次の生命表が出る時にはまた落ちてしまう可能性があるけれど,今のところ女性の順位は高いから,DOHaD説だけではやっぱり説明ができない.他に考えられるのが,今まであまり注目されておらず,調査も少なく実態が不明で,科学的に証明されていなかった社会関係が鍵になるのではないかという話になっている.
  • ※DOHaD説:人の健康および疾患の素因の多くは,受精卵環境,胎内環境,乳児期環境にあるという説.


━━━一番興味があるのは,集団の力

  •  僕が一番興味があるのは,学校における集団の力.心理社会的,学校環境,学校風土,スクールコネクティッドネス,学校連帯感とか.欧米では,集団の力が個人の健康に影響しているということがたくさん研究されている.それを沖縄でやっている.集団の力とソーシャル・キャピタルは非常に近い概念だったので,ソーシャル・キャピタルを学校に適用して今に至っている.元々,社会や集団の力に興味があって,よくよく考えたら沖縄はそれが強いよねということに気が付いた.今は地域の健康作りの取り組みもやっていて,今度の学会のシンポジウムでも企画した.


━━━ どうして集団の力に興味をもったんですか?

  • 僕らがやっている研究は大規模集団に調査をするが,それは個人個人のデータの集まりでしょ.理論的には,個人個人は全て独立しているはず.その個人を集めたデータについて解析をしている.でも,この学校の子どもと,この学校の子どもは違うよねっていうのがあるじゃない?地域も同じことで,この地域とこの地域は,何かが違うと思うことがある.欧米は地域差がはっきりしていて,この地域は貧困地域,この地域は裕福な地域というのが明らかに分かれている.今では,地域の影響を取り除いて個別の関係をみるマルチレベル分析などが可能になった.でも日本は地域差というものをあまり考えていなかった.でも学校保健で研究をしていて,学校と学校の違いは絶対にあるなと思っていた.

(2016年5月 女子栄養大学駒込キャンパス にて)

インタビュー後編は,先生が歩んできたキャリアと,若手への「必ず役立つ」メッセージを届けします!(新保,町田,中村)

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第8回  戸ヶ里 泰典先生  後編 「尺度開発のお話と若手へのメッセージ」


目に見えない概念を扱う上で、必要となる尺度開発



━━━ SOC尺度をはじめ尺度開発の研究を多くされていますが、その経緯ややりがいは何ですか?

  •  尺度開発はいつのまにかたくさん行ってきましたね。多項目尺度を用いて研究をする際、きちんと検証されたものでないと使いにくいということがありますよね。自分が「こういう概念を研究的に扱いたい」と思ったときに、それに沿ったツールが見つからないことが多々あり、だったら自分で作るしかない、少し違うものを無理やり使うのも良くないと思います。そこで、尺度を開発してそれを使おうという心持ちで研究をしているうちに、いつのまにか、ということです。
  •  その尺度を使いたいと思っている人は自分だけでないと思うし、論文になっているとそれを引用できて、その後論文を書くのも楽になり、良いことだと思っています。実際のところ尺度開発に関する論文以外の論文のほうが多いのですが、参照される機会は尺度開発のほうが圧倒的に多いので、多く尺度開発をしている、というような印象になるんだろうな、とも思いました。
  •  翻訳する場合もあるのですが、原版を考えた人も、日本での成果を知りたいと興味を持ってくれたり、自分の尺度が使われることがありがたいと思ってくださいます。その結果をお返していく上でも論文を書くということは大事なことなのではないかと思っています。

━━━ 尺度開発の研究スキルはどのように学ばれたのですか?

  •  大学院修士課程のとき、当時の指導教官である山崎喜比古先生の授業で、尺度開発をテーマに「Scale Development」1)という本の輪読を行いました。それが今も、研究方法論として身に付いています。山崎先生も尺度開発にとても詳しく、目に見えない概念を測る・扱うというのが大事な領域なので、それを扱う方法は絶対に必要だということでその授業が行われていました。それでかなり勉強して尺度開発のステップを学びました。それがいまだにベースにあります。自分が測りたい概念を臆せずに尺度として開発していくというスキルは、社会科学系の研究を行う上では大きな武器になると思います。「Scale Development」は良い本ですね。ICPSR(Inter-university Consortium for Political and Social Research)サマーセミナーでもテキストとして使われていました。すでに版も重ねていると思います。

仲間との出会いから、研究観を身に付ける

━━若手、大学院生の頃にやっていてよかったと思うことはありますか?

  •  やっていてよかったことは、人付き合いですね。大学院OBの先輩たちや、同期、後輩たちとのつながりがたくさんありました。同じ領域で同じ研究をしている人たちとのざっくばらんな付き合いというのは、今は、勤務先の特性からいってもほとんどないです。
  • 研究の話を直接しているわけではなかったのですが、研究に対する向き合い方や、研究者としての生き様、どういう研究をするのがよいのか、どういう研究がおもしろいのかという部分について、話の端々から受け取っていたり渡していたりしていたように思います。若手の時は、何が、どういう研究が大事なのか、よい、おもしろい研究とは何なのかというような見方や研究観を貪欲に培える時期なのではないかと思っています。
  •  ただ、先輩・後輩の関係は、研究で煮詰まったとき、直接的に手助けしてもらうのとは少し違うと思います。研究というのは結局は自分でやるしかないでしょう。ただ、先輩たちの話を聞くことで、今ある壁は大したことないのではと思えてくることもある。それに、自分を客観視できることもあるかもしれない。煮詰まったときも、救いになったかもしれない。指導してもらうというより、共有したり、自分の見方、考え方、哲学ですかね、それを磨いてくれたような気がしました。それがすごく大事なのかなと思いました。


━━━若手に期待すること、メッセージをお願いします!

  •  自分はかなり特殊な道を歩んでいると思っているので、あんまり真似してほしいとは思ってないんですが(笑)。それに、自分もまだ若手といいますか、駆け出しの研究者だと思っていますので、あまり偉そうなことは言えないと思っています。
  •  この領域はそんなに多く研究者がいないので、この若手の会のようなつながりはすごく大事にした方がいいと思います。たまたまこの領域に来て、たまたま出会った人たちがいると思うのですが、研究室、学会で出会う人たちにしても、何かの縁だと思ってつながりを大事にした方がいいと思います。
  •  その一方で、同じ若手といっても年齢や性別、経歴も違いますね。また研究テーマは皆バラバラだと思うんですね。それぞれの研究で、大事な部分、研究を進めるペース、何が良いことなのか、というような研究遂行上の問題点は、各領域、各テーマで全然違うところを目指していると思います。ですので、その違いをお互いに認め合うというか、器の広さみたいなものを身に付けていくというのもとても大事なのではないかと思います。競うことは大事だと思うけども、「あの人は、、、この人は、、、」と気にし過ぎない。他人と比較しない。自分の研究は自分でしか最終的にどうなるのかわからない、自分で舵を取っていくしかないと思うので、そこを考えながら、周囲の影響を受けながら、研究を、研究者としての人生を進めていくことが大事なのかなというところですかね。
  •  研究は一人ではできないので、共同研究者がいることはとても大事なことだと思います。一緒に研究できる人が周囲にいることはありがたいことだと思います。研究を進めていくうえでは、研究会議というかディスカッションは必須だと思います。一つの方向に向かいつつも、研究者である別の人間同士がお互いに刺激を与えあい、影響しあい、アイデアを化学反応させあいながら進めていくものだと思います。
  •  けれどその中でどこか一人でやらなければいけないことも出てくることになります。データを解析するのはコメントをもらうことはあっても基本的には一人でやります。研究室によっては分担することもあるかもしれませんが、概ねこの領域では論文の執筆は共同研究者からコメントをもらいつつも一人で書くことが多いのではないかと思います。自立した研究者というのは、研究は一人ではできないのだけど一人でやる、というあたりをうまくできる人なのだと思うんですよね。
  •  若手のうちは、学位論文を書きあげるくらいまでは、先行研究や研究方法論に関する知識を身につけ、研究技術を磨くことで手いっぱいかもしれませんし、それで良いと思います。そのあと、若手研究者として道を歩み始めるころは、その辺の研究者同士の距離感だとか、研究者はどういう生き物なのか、というあたりの知識や、研究するってどういうことなのか、自分がどういうふうに研究者として生きていくか貪欲に考えていかないといけない時期だと思います。
  •  また、進路がなかなか決まらないという問題もあるかもしれませんし、たとえ研究機関や実践の場に就職したとしても授業や業務で追われ、それでほとんどの時間が費やされてしまう、ということもあるかもしれません。ただ、若手へのメッセージとしては、研究マインドはどのようなことがあっても持ち続けてほしい、ということでしょうか。どのような方面に行くにせよいろいろな人の後ろ姿を見、話を聞き、失敗をし、迷惑もかけながら、足元を見て自分の研究を一歩一歩進めていくことが大事なのではないのでしょうか。

(2015年11月 放送大学 東京文京学習センターにて)

若手のうちは、研究のスキルを身に付けるだけでなく、研究仲間との出会い、交流を通して、研究者としての生き方、研究観を培う上でも大切な時期であることを実感した、若手の会メンバーでした。(角谷、小島、中村)

文献
1)Robert F. DeVellis. Scale Development THIRD EDITION Theory and Applications. SAGE Publications, Inc, 2012

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第7回  戸ヶ里 泰典先生  前編 
「健康教育に興味を持ったきっかけと、これまでのキャリア」

戸ヶ里 泰典  Taisuke Togari

2001年金沢大学医学部保健学科卒業。2008年東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻博士後期課程修了。東京大学医学部付属病院看護部看護師、山口大学大学院医学系研究科助教、専任講師を経て、2011年4月から放送大学准教授として研究・教育に従事。


初めて研究成果を発表した想いいれのある健康教育学会



━━━ 当学会の奨励賞受賞おめでとうございます!受賞した喜びを教えてください。

  •  とても光栄です。現在活躍されている先輩方が受賞されてきた賞ですので、とても重みのある賞をいただいたと思っています。引き続き、研究活動、学会活動に励みたいと思います。

━━━ 健康教育に興味を持ったきっかけを教えてください。

  • 日本健康教育学会は私が最初に「学会発表」をした学会でした。そのときは修士論文の内容で沖縄での開催(第12回、会長は崎原盛造先生)でした。来年の第25回学術大会も沖縄ですね。なぜ本会で学会発表をしたかというと、本会には当時の所属研究室(東大院・健康社会学教室)の先輩方が関わっており、指導教官の山崎喜比古先生(現在日本福祉大学)に勧められたことが大きかったです。
  • Sense of coherence(SOC)に関する研究テーマを選んだきっかけは、修士論文のテーマを考えなければならない時期に、ちょうど所属研究室の先輩方が翻訳した「健康の謎を解く」1)という本が出版され、その本を読んで、面白いと思ったことが第一歩だったのかなと思います。また、私はうまく言葉にはできていなかったのですが、当時は対象論よりも、理論や方法論に関心があって、そのことを山崎喜比古先生が見抜いて(笑)、まあやってみたら、という話になったような気が今はします。

研究者としてのキャリア形成

━━━大学進学、大学院進学と進んできたキャリアについて教えてください!

  • 大学生の時は質的研究法に興味を持っていました。卒後の進路を考える際に、当時在学していた金沢大学でお世話になっていた西村真実子先生(現在石川県立看護大学)に相談したところ、東大の大学院がよいのではないかと勧められ、質的研究について理解がある先生として何人か紹介いただいた先生の一人が山崎先生という状況でした。入学して、山崎先生は量的研究をずっとやってきていて、ここ数年興味を持ち始めて特論で取り上げていた、ということを知りました。また、自分が関心を持っていたのは、方法論のことばかりであり、具体的に何をテーマに何を明らかにしたいのか、全くはっきりしないまま修士課程が過ぎていきました。結局テーマはギリギリになって先ほど述べたようにSOCに関することになり、SOCに関する研究を調べると量的研究法を用いた、当時はやり始めていた構造方程式モデルを用いたものばかりが出てきていました。また、当時山崎先生や中山和弘先生(当時愛知県立大学、現在聖路加国際大学)が担当していた人文社会系研究のための多変量解析入門セミナーという授業を受けて、量的研究法をまず抑えることに切り変えました。こんな状況ですので、全く、右往左往というかフラフラしている院生で、先生方や先輩方は、心配や迷惑をかけたというか、こんなのでこれから先本当に大丈夫なのか、と思われていたのではないかと思います。
  •  博士課程に進学できることになり、多少なり研究が評価されたことによって自信が付いてきました。大学院博士課程1年生の時期は、色々な研究プロジェクトにかかわる事ができました。色々な共同研究者の先生方と話をすることができたし、ほとんどの時間を研究に当てていました。お金はないけど、時間はある(笑)。若気の至りというのかな?(笑)。今思えばとても貴重な1年間でしたね。
  •  大学院の修士課程には、学部を卒業してそのまま進学した関係で、ペーパー看護師のままできていて、ずっと臨床経験を積む可能性を心の片隅で考えていました。ただ、看護師の仕事は簡単なものではなく、20代のうちに経験をしておいた方がよいのではないかとも考えていました。そこで、大学院で休学できる期間を利用して看護師として病院で現場の仕事をしてみよう!と思い、思い切って博士課程1年が終わった段階で現場にでました。看護師の仕事は最初の1年目はとてもとても大変でしたが、慣れてくるにしたがって楽しくなっていきました。しかし、学振研究員の採用が決まったこともあって、2年で大学院に復帰しました。結局自分は研究者として身を立てていこうという気持ちが勝ったのだと思います。やはり、博士課程の最初の1年間は研究だけに集中できたのはとても貴重な時間だったと思います。この1年間を過ごしてから看護師として働いたので自分の中で選択しなければならないときに、研究者の道を選ぶことができました。休学はしていたんですが、多くの調査データを抱えていたということもあり、休日や病院勤務の合間に研究室に行って論文を書くことも継続していましたね。

━━━博士課程修了後の進路について教えてください!!

  • 最初の就職は、山口大学です。博士課程3年生の11月までは博士論文に集中していました。年があけて、博士論文の審査を終えてから、指導教員のところに相談に行きました。その時は、いずれ話が出てくるはずだから、あまり急がずじっくり待つことが大事だといわれました。そうしたら翌日に、山口大学医学部衛生学教室の原田規章先生から山崎先生にちょうど人事の話が来て、これはぴったりじゃないか、ここはぜひ行った方がよいとアドバイスを頂きました。東京ではすでに自分が関わっている研究プロジェクトがいくつか走っているうえ、全く縁がなく行ったこともない離れた地で悩みましたが、先方の先生にもお会いして、基本的には教務をこなせば後は自由にどんどん研究をしてよいとも言われ、いろいろ考えた末山口行きを決意しました。
  •  山口大学では医学部の医学科に所属していました。そこには基礎医学系領域の若手研究者でもある同世代の教員がたくさんいました。それに医学科の教員であっても、みな医師ではなくて他分野(理学、化学、農学など)の出身で、同じような悩み(将来のこととか、笑)をもっていました。他分野の先生なので共同研究をしよう、ということにはならないのですが、学生のときのような、プライベートで飲んだり歌ったり、愚痴を言ったり(笑)。今でも交流はありますし、素敵な仲間に出会えて、とても大きな力になりました。
  •  一方で、関心領域である健康社会学領域で「一緒に研究する仲間」がほしいと思っていました。自分が中心となって行っていた研究プロジェクトが次々ひと段落すると、ペーパーを書くことに追われる一方で、次の仕事(研究)について考えるようになりました。そのようなときに放送大学に勤めていた大学院の同じ研究室の先輩でもある井上洋士先生からの誘いがありました。当時研究仲間は基本的にみな東京にいましたし、井上先生が比較的身近にいるという環境では、きっと何か良い共同研究ができるのではないかという期待もあり、放送大学に移ることにしました。

(2015年11月 放送大学 東京文京学習センターにて)

インタビュー後編は、研究テーマの尺度開発を行うに至った経緯と、若手への熱いメッセージをお届けします!(角谷、小島、中村)

文献
1) アーロン アントノフスキー:Aaron Antonovsky 著, 山崎 喜比古,吉井 清子 翻訳.健康の謎を解く―ストレス対処と健康保持のメカニズム.有信堂高文社,2001.

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第6回  衛藤久美先生 後編 「若手へのメッセージ」

点と点がつながっていく実感



━━━ 今の仕事に就いたきっかけと、現在行っている研究の内容について教えて下さい

  •  アメリカから帰国後、就職したいと考えていましたが、研究を仕事にするには先に博士号を取った方が良いと周りに強く勧められました。悩んだ末、博士課程に進学しようと決めた直後に今のポストに空きがでて、声をかけていただきました。入職するときに上司の武見ゆかり先生と3年間で博士号を取ることを約束しました。結局4年かかりましたが、周りの方々のご協力とご指導のおかげで何とか博士論文をまとめることができ、博士号を取得することができました。
  •  また、現在、坂戸市の食育推進委員を務めています。坂戸市では市独自の食育プログラムを平成19年度から実施しています。坂戸市の食育プログラムでは、プログラムを始める1つ前の学年、つまり食育プログラムを学習していない学年と初めて食育プログラムを学習した学年の小5、小6、中2に調査を実施し、学習効果の検討を行っています(現在継続中)。今年度は、プログラムを始める1年前の子ども達が20歳になります。子どもたちが20歳になる頃に調査を実施しようと当初から計画されていました。そのため、今年度研究面では、この調査の実施が私の最も大きな仕事となります。大人を対象として後ろ向きに子どもの頃の食事を尋ねる研究はありますが、前向きにこの年代の子どもを追跡する研究は日本ではまだ少ないので、過去のデータとマッチングできる子はマッチングして、過去と現在の食生活の状況を比較していきたいと思っています。


━━━これまでのご経験が、現在きれいにつながっているんですね

  • 初めから意図していたわけでは全くないのですが、点と点がつながるってこういうことなんだ、と実感しています。

学生でいられる時間を大切に



━━━若手研究者へのアドバイスをお願いします

  •  大学院生の間は悩むことがたくさんあると思いますが、悩むときはとことん悩むことが大事だと思います。とことん悩んで出した答えは後悔しない、というのが私の持論です。今教員として、学生の悩みもたくさん聞きますが、よく悩みなさいとアドバイスします。さらっと悩んでだした答えは後悔することがあるからです。大学院生は、指導教員から「あなたはどうしたいのか」と聞かれるなど、自分が決断しないといけないことが学部生よりも多いと思います。周りの人に相談しながら、しっかり悩み抜いて決断することを大事にしてほしいです。
  •  また、大学院生の頃は、一番論文を読む時間がしっかりとれる時だと思います。私も修士課程の時に読んだたくさんの論文がベースとなり、教員として働いてからはその上に積み上げていっている感じです。働きながらだと論文をじっくり読む時間を作るのは難しいです。学生時代が最も論文を読むことができるので、読むのは大変ですが、なるべく多くの論文を読んでほしいと思います。

━━━先生は英語が堪能ですが、それでも論文を読むのは大変でしたか?

  •  大変でしたよ。分野が違えば言葉も違いますし、学部から大学院となるといわゆる研究用語に慣れるまでは大変なので、読んで慣れるしかないと思います。


━━━若手研究者に期待することがあればメッセージをお願いします。

  • 若手の会があるのがうらやましいです。私が修士課程に在籍していた時には他の大学院生や、若手研究者との繋がりがあまりなかったので、私の時にもあったらよかったなと思います。
  •  私の場合は、大学で働き始めた頃から、健康教育学会の栄養教育研究会に5年以上関わらせていただいています。他の大学の先生や研究者、現場の方々と交流できる場なので、とてもよい刺激となり、貴重な学びの場となっています。日本健康教育学会はこのように、他職種や他大学の先生との交流が多いのでとても勉強になっています。若手研究者の皆さんには、若手の会のような横のつながりを大切にして、お互いの研究を高め合っていくことを期待しています。

━━━これまでのキャリアで女性研究者としての強みや悩みはありましたか?

  •  女子大に勤めているので、女性が多く、女性であることの強みは良くも悪くも感じてないと思います。女性だからというわけではなく、常に一研究者として何ができるかといったことを考えています。研究の分野が栄養教育、公衆栄養学であることを考えると、栄養学を専門にしていない人の視点は忘れずにいたいと思っています。私自身が違う分野から今の職業に就いているので、余計にそう考えています。学生時代の友人との何気ない会話の中でも、栄養の専門家ではない人の実態や感覚を知ることを大事にしています。これは、女性研究者だからというより栄養学に携わる研究者だからですね。そういった視点は大学の実習で学生を指導する際にも役立っています。

博士号を取得してみえてきたもの

━━━博士号を取得してから何か変化はありましたか?

  •  博士論文を書いている時は、仕事の合間に時間ができたら研究をしていましたし、常に研究のことを考えていました。細切れの時間では研究をすることが難しいので、朝早い時間や夜遅い時間など集中した時間を取るようにして、論文を読んだり、論文を執筆したりして、仕事と研究の日々でした。
  • 博士号を取得した後は、これまでより自分の時間を大事にして、おいしいもの食べに行ったり、旅行に行ったり、友達に会いに行ったりと、自分の時間を充実させるようにしています。

(2015年8月 女子栄養大学坂戸キャンパスにて)

学位を取ることの重みが伝わってきました。様々なご経験を経て、充実した研究生活を送られている姿に、大いに刺激を受けた若手の会メンバーでした(河嵜、秦)。


第5回  衛藤久美先生  前編 
「健康教育へ興味を持ったきっかけ・学生時代のご経験」

衛藤 久美  Kumi Eto

2001年国際基督教大学教養学部卒業、2003年女子栄養大学大学院 栄養学研究科修士課程 修了。2007年ニューヨーク大学大学院 教育学部 修了/MPH取得、2013年女子栄養大学にて博士号取得。2007年~2008年ニューヨーク市保健精神衛生局 慢性疾患予防・管理部 特別アシスタントを経て2009年4月女子栄養大学 栄養学部 助教に着任、現在に至る。


若手の会が目指したい若手研究者!



━━━ 当学会の奨励賞を受賞された喜びを教えてください

  •  本当にありがとうございます。私自身がうれしいのはもちろんなのですが、私以上に周りの方が喜んでくれてくださいました。だから私がこのような賞をいただけたのは、私を今まで育ててくださった先生たちのおかげだと、改めて感謝する機会になりました。

家族のコミュニケーションから食事・栄養へ

━━━健康教育に興味をもったきっかけは何ですか?

  •  大学の時は、国際関係学科の中で国際コミュニケーション学専攻に所属していました。コミュニケーションや社会学・心理学など、生活や人に密着した分野に、そのころから興味があったのだと思います。その中でも親子関係や家族関係に興味があり、文献などを調べていく過程で、家族がコミュニケーションを図る場としては食事の場が大きいのではないかと考えました。そこから食事や栄養の方に関心が動いていったのですが、文系中心の大学だったので、それこそ健康教育も栄養学もないですし、図書館に行っても全然資料がないので、どうしようと思っていたところに出版されたのがこの本だったんです。「知っていますか子どもたちの食卓」という、当時女子栄養大学の教授でいらっしゃった足立己幸先生が、1999年に全国の小学生を対象に調査した内容を一般向けにまとめた本です1)。この本を手に取る機会がたまたまあり、これを読んで、こういうことがしたいんだと思いました。このことがきっかけで大学院に進学したいと思うようになり、足立先生にお話を伺いに行きました。そうしたら、翌年にアメリカで同じ調査を行う予定があり、「じゃああなたその調査で修論書けばいいわよ」ということになりました。そこから栄養学の勉強を始め、修士課程に無事入学することができました。今思うと、本当にすごいご縁だったなと思います。

インタビューから着想した研究テーマ



━━━修士課程ではどのような研究をされていたのですか?

  • そういうわけで、最初はアメリカで共食に関する調査をするつもりだったのですが、同時多発テロ事件があって先延ばしになってしまったんです。どうしようかとなって、結局、修士2年の時に、子どもたちにインタビューをすることになりました。元々、足立先生の調査では、共食をテーマにしていて、誰と食べているかということが中心だったのですが、私の場合は学部の時に家族コミュニケーションを勉強していたので、共食をしている時にどんなコミュニケーションがあるのかというところまで掘り下げたいと思っていました。小学校5-6年生を対象としたグループインタビューを4グループに実施したところ、その中で少数ですが、家族は会話をしているけれども、親やおじいちゃん、おばあちゃんのような大人が話をしていて、自分はそこに入れないからつまらなかったという子どもがいたんです。そういうことは全然想定していなかったので、子どもが会話に参加しているか、子どもが自分から話すかどうかということに注目することにしました。インタビューをベースにして質問紙調査を行い、食事中の自発的コミュニケーションにフォーカスして修士論文をまとめました。

アメリカでの大学院生活

━━━ニューヨーク大学大学院でのご経験について教えてください

  • 栄養教育や公衆栄養の勉強を深めたいと思い、ニューヨーク大学大学院に留学しました。そこでは、公衆衛生学プログラムの中で公衆栄養学を専攻していて、Master of Public Health(公衆衛生学の修士号)を取得するための必修の一つにインターンシップがありました。研究というよりは実践に近い形で、低所得層を対象に様々な食生活支援をしているNPO法人が行っている栄養教育プログラムに関わりました。低所得層の子どもが多い小学校では野菜・果物の摂取不足と肥満が大きな問題だったので、野菜をもっと食べようとか、野菜と親しくなろうといったプログラムを行っていました。アメリカでは、「野菜をもっと食べる」、「炭酸飲料を減らす」、「炭酸飲料の代わりに水を飲む」といった栄養教育が多かったです。アメリカ人にとっては、シンプルイズベストというか、とにかく具体的ではっきりした目標がより効果的な栄養教育になるという考え方なので、日本のような、バランスのよい食事について理解するという栄養教育はちょっと複雑だと思われているようです。私は逆に、それは日本らしさだと思っています。日本の栄養教育も素晴らしいので、日本の栄養教育をもっと海外に発信しなければいけないのでは、と感じました。
  •  また留学中には、先ほどお話した、日本の修士課程在学中に延期になってしまった調査を、コロンビア大学ティーチャーズカレッジ(教育大学院)のコンテント教授らと足立己幸先生の共同研究として、実施することができました。コンテント教授は栄養教育の第一人者で、行動科学理論に基づいた栄養教育の専門家です。TPB(Theory of Planned Behavior, 計画的行動理論)をベースにした共食に関する調査票を設計し、郵送法で調査を行いました。また同じ時期にコンテント教授が担当されている栄養教育の授業を履修する機会も得ました。その時の教科書がこちらになります(写真参照)。その日本語版が今年の4月に出版され、私も監訳者の1人として関わらせていただきました2)。

(2015年8月 女子栄養大学坂戸キャンパスにて)

インタビュー後編は、博士号取得時のご経験や、若手へのメッセージをお届けします!

  • 文献
  • 1)足立己幸,NHK「子どもたちの食卓」プロジェクト. 知っていますか子どもたちの食卓―食生活からからだと心がみえる. 日本放送出版協会,2000
  • 2)Contento IR.足立己幸,衞藤久美,佐藤都喜子監訳.これからの栄養教育論―研究・理論・実践の環.第一出版,2015

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第4回 吉田亨先生 後編「若手へのメッセージと群馬学術大会に込めた想い」 

(2015年3月)

進路を左右したのは人とのつながり



━━━―博士課程修了後の進路について教えてください!

  •  博士課程を修了した後は、宮坂忠夫先生が紹介してくださった神奈川県予防医学協会というところで1年3ヶ月ほどお世話になりました。具体的な仕事内容は、広報活動、健康教室イベントの企画、事業年報、デパートでの健康教室などかな。江の島で女性を対象にした健康教室は1から10までしっかり取り組んだね。そのあと、大学の助手になってからも対象者へのフォローアップや学会発表などもしていましたね。
  • その間に東大では川田智恵子先生が講師になられて、助手のポストが一つあいたので、声をかけて頂いて、東大にもどったという感じですよ。12年半程、東大の助手をしていましたが、今では任期制が多いので長いですよね(笑)。



━━━―助手の仕事、留学をしたきっかけについて教えてください!

  • 助手時代は悩みの時代でした。健康教育の転換期だったのかなと思います。健康教育なんか「時代遅れ」っていう先生もいた。日々の仕事に加えて、この悩みを整理するのが大変でした。大学院の時に一人で読んだ「Green」の健康教育計画からは大きなインパクトを受けていたけど、それだけでは、当時勢いを持っていた「健康学習」を消化できなかった。
  •  助手の間に1年アメリカに留学をしました。きっかけは、IUHE(International Union for Health Education)の日本誘致が決定したこと。でも正直、日本で開催できるかわからなかった(笑)。そのとき、豊川裕之先生がハーバード大学留学の話を教えてくれた。実は事務文書の応募条件にミスがあって、応募者は自分だけで、留学は「青天の霹靂」でしたね(笑)。



━━━―留学を経て得られたものは何ですか?

  •  留学から帰ってきて周囲から「自信が付いた」と言われました。今と違って、インターネットもないから、情報にタイムラグがあるし、アメリカの社会の仕組みがわかってよかった。公衆衛生分野では、日本とアメリカは全く違う。その差を実感できたところがとても大きかったですね。日本だけみていたら、なんでアメリカではこんな研究をしているのだろうって思っていたと思う。


━━━―群馬大学に就任したきっかけは何ですか?

  •  (これもまた)全くの偶然です(笑)。群馬大学に保健学科を設置する際、今の私のポジションが急に空席となり。群馬大学の学長から川田先生に誰かいないですかという相談が来て、私が行くことになりました。

時間と環境は大切に

━━━―若手へのアドバイスをお願いします!

  • 「時間」は若い時にしかないので、「時間」を大切にしてほしい。立場が上になるほど自分の判断で使える時間が少なくなる。自分の時間を使えるのは若い時の特権。私自身、修士の頃は文献を読みあさっていました。また、環境は選ぶべきだと思う。特に若いうちは環境を自分では作れないですし、能力がある人でも、環境が悪いと伸びないこともあると思うので。例えば保健分野に関してだったら、体系的に勉強できる環境が良いと思う。修士レベルだと体系的な知識を持たずに、目の前の課題を解くためだけに研究していることが多い。研究方法に関するトレーニングが足りないとも思う。だから、いくつかの研究方法をしっかりと学んだうえで、それらを選んで使えることが理想だと思う。

実践家でも大学院の門をたたいてみてほしい

━━━―実践家が研究する際には、どのように研究手法を学んでいけば
    良いでしょうか?

  •  大学院に入ることが、一つの手段だと思う。特に地方であれば、大学院は社会人学生を主なターゲートとしているところも多い。実際、群馬大学大学院の保健学研究科について言えば、多くが社会人学生です。群馬大学の大学院では、志のある実践家が大学院に来て勉強し、それを職場に持ち帰って現場に広め、そこで興味を持った現場の人が、また大学院に来て勉強するという循環を目指している。

━━━―最後に、第24回の学術大会には、どのような思いがありますか?

  •  お世話になった衛藤 隆先生が決める最後の学会長を務めさせて頂くことが出来てホッとしている。「Community Organizingと健康教育」というテーマは、私が健康教育を始めたころから持っていたテーマ。メインのシンポジウムの、社会教育・地域福祉・地域リハビリテーションでは、分野は違うけれどやろうとしていることは皆同じで、お互いに脇を見て一緒にやった方がいいんじゃないの、という話になればいいなと考えている。健康教育、社会教育、福祉教育など、教育が付く言葉はたくさんあるが、本質的にはどれも変わらないと思うので、そういったものを共有できる場になればと思っている。副学会長の笠原賀子先生のお力もあり、無事に学会が出来そうです。是非、たくさんの方に足を運んでいただければと思います。
  • (2015年3月 群馬大学昭和キャンパス 共用施設棟にて)

吉田先生から、健康教育への熱い想い、若手へのメッセージをいただきました。今が、自分の時間に全力で打ち込める「若い時」なんだなと、奮起する若手の会メンバーでした。(松下、町田、中村)

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第3回 吉田亨先生 前編「健康教育の道に足を踏み入れる」

吉田 亨  Tohru Yoshida

1983年東京大学大学院修了。東京大学医学部助手、ハーバード大学公衆衛生大学院特別研究員を経て、1997年から群馬大学医学部教授。2011年から 群馬大学大学院保健学研究科教授として地域健康推進学研究、教育に従事。東京大学大学院医学系研究科、大分医科大学などで非常勤講師を務めた。

自分の経験や人との関わり



━━━― 健康教育を勉強し始めたきっかけを教えてください!

  •  私が高校3年生のときは工学部に進むつもりでしたが、浪人中に物理と数学はこれ以上できないなと感じて断念。なにをやるか決めないまま東大理科二類(農学部・生物系)に入ったけれど、「農業やってもなぁ~」ということで、「みんながやらない、なにか新しいことをやってみよう」という気持ちが強くて、その選択肢の一つが保健学でした。最終的な候補に残ったのは、教育学部の健康教育学と医学部の保健学科でした。大体自分で歩んできた道を選びたいことが多いじゃないですか?ある程度、自分の経験があるから。それで、保健学のなかでも学校健康教育を中心に考えたのでしょうね。
  •  そもそも大学を卒業した後は、研究者になるなんてこれっぽっちも思ってなかった。東大って変なところで、1年生になったばかりのクラス30数名で、研究者になりたいって奴が4-5人いたのね。研究者って何するんだって感じだった!(笑)当然、保健学科へいっても4年生終わったら就職するつもりでいたのですけど、いろいろと事情があってこんな事になってしまって…。



━━━― いろいろな事情とは?

  •  東大の保健学科の前身として、普通の入学とは別枠で入試をして、保健婦・看護婦を養成する4年制の衛生看護学科があったんですよね。この学科を改組して保健学科が作られた。しかし、保健学科は医療上の資格をなにも出していない。私はそんなことを知らないから、当然保健学を勉強して就職して、保健学に関係する仕事をしようと思っていたんですよ。ところが、医療上の資格がないでしょ?例えば、衛生行政に入るとしたら事務職で入るしかない。事務職で入ると保健所長にもなれない。じゃあどうしようかな?って思って、保健学科の先生(豊川裕之先生)に相談したら「健康教育をやりたいんだったら宮坂先生のところへ行けよ」という話になって、それで大学院に行くことにした。ついこの前、豊川先生にこの話をしたら「そんな話、したっけ?」って、数多くある相談の一つにすぎなかった(笑)。


人と関わる仕事が健康教育



━━━―健康教育に興味を持った理由を教えてください!

  •  私は小さい頃にリウマチ熱という病気をしてて、幼稚園の頃2年間は、冬の間、家で寝ていた。病気の体験があって、病気を意識せざるを得なかった。それから小学校1年生のときに、同じように心臓が悪い子がいて、その子と一緒に小学校1年生のとき体育はずっと見学をしていた。でも、その子が小学校4・5年生くらいに亡くなったという話を聞いて。当時、家の事情などに恵まれて、ちゃんと治療してもらえたんだなという気持ちが凄くあって、健康や保健の方に行った気がします。
  •  私の通った高校はちょっと変わった高校で、現在でいう総合学習の時間があり、そこで健康に関することをやっていて、その時の問題意識が残っていて、また、直接人に関われる仕事をしたくて健康教育かなという感じだったかな。当時、保健学科で社会との直接的な関わりや、普通の人・一般の人と関わりをもった仕事ができるところは、私がいた保健社会学だけだったのかなと思います。
  • (2015年3月 群馬大学昭和キャンパス共用施設棟にて)






インタビュー後編は、博士号取得から現場での仕事を経て現在に至るキャリアと若手への熱いメッセージをお届けします!


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第2回 神馬征峰先生 後編「健康教育へ興味をもったきっかけ・若手へのメッセージ」

自分の関心だけでなく、周囲の人々との出会い



━━━健康教育に興味をもったきっかけは何ですか?

  •  公衆衛生院にいた頃の影響が強かった。第1に久常節子先生を初めとするスタッフ。特に久常先生は当時から日本の保健師のリーダー的存在だった。第2に公衆衛生院・修士課程の栄養士や保健師の同級生。「医者だからって偉そうにするな。現場のことを知っているのは、保健師であり、栄養士であり、私たちこそが住民の声を常に聞いている」と、何度も叱られた。こういった人たちにはそれまで出会ったことがなく、強い刺激を受けた。
  •  また、久常先生の推薦で医学書院の保健師や看護師テキストの執筆を始めた。依頼された健康教育について書くために大いに勉強した。当時ヘルスプロモーションを引っ張っていた島内先生や岩永先生とも公衆衛生院で会う機会を得、ヘルスプロモーションが日本に入ってきた頃の情報を得た。97年には、プリシード・プロシードモデルの第2版のテキストを岩永先生たちと翻訳した。2005年に第4版を。そうして、健康教育、ヘルスプロモーションの理解をどんどん深めていった。
  •  当時の公衆衛生院は建物の造りがとてもよかった。教室のドアはたいていいつも開けっ放し。学生でも誰でもいつでも自由にいろんな先生の部屋に入れる雰囲気があった。動物実験はしていたけれども、ふらふらといろいろな先生のところに行った。生きた公衆衛生を学べる構造だった。また、保健所で生活習慣病のための講師をやることもあった。そこで家庭の主婦等が、実際どういう悩みを持っているのかを現場で体験した。こうして理論と実践を、公衆衛生院を基地として学べたことがよかった


海外での経験が将来の夢への意志を強くした



━━━―若い頃に経験して良かったことは何ですか?

  •  学生時代、海外に3回行っている。最初は大学2年生のとき、日米学生会議でアメリカへ。大学4年生のときに、インドに一人で2か月。それから5年生のときに台湾に1~2週間。
  •  一番インパクトの大きかったものはインドの一人旅。南インドの農村開発センターでインターンに行った。そこで、現地のジョゼフ・ジョン牧師やプレム・ジョン医師夫妻と一緒に学校保健をやった。学童の疥癬症に対するケースコントロール研究。現地の人の役に立つ研究だった。研究をやりながら南インドも旅行した。その経験をもとに将来途上国で自分はやれる、途上国で働こうという意志を強く持つことができた。その意味では海外に一度出て原体験をしてみることが大事。先進国でも途上国でもいいけれども、単に海外旅行をするだけでなく、そこで根を張って仕事をしている人の話を聞く。それが自分のその後の歩みを決定づけたと思う。
  •  また、大学の頃、途上国の仕事をしたいと思っていたので、いつかはWHOに入りたいという気持ちが強かった。そのため、英語を相当しっかり勉強した。自転車に乗りながらヘッドフォンで常に英語を聞いていた。ただ学生時代は十分にやり切れなくて、公衆衛生院に入ってから始めたのが、英語のライティング。ライティングのコースに出ていた。英作文と違って、パラグラフ・ライティングなどは直接指導を受けないとなかなか自分のものとして身につかない。しかし一度身につけば一生役に立つ。
  •  そして、芸術としては茶道をやっていた。昔やっていた柔道の影響で何とか道というのが好きだった。海外に出て柔道ができなくなって、裏千家の人と出会ってやるようになった。他にも、禅寺での座禅やキリスト教など、宗教的な雰囲気に触れていた。日本の伝統的な華道とか茶道とか、飾りじゃない、本来持っているものの良さに触れる。そういうのも長い目でみれば重要な体験だったと思う。

自分の可能性を大胆に広げること



━━━―最後に、若手に期待すること、メッセージをお願いします。

  •  殻を突き破る。自分に制限をつけない。自分は○○大学だからあれができないのではないか、自分はこういう専門分野にいるからこれはできないのではないかとか、できないことにこだわらない。できることをもっと広げていく。自分の可能性をもっと大胆に広げていく。それが若い人にとっては大事だと思う。自分は今でもそんな気持ちでやっている。
  • (2014年12月 東京大学本郷キャンパス 国際地域保健学教室にて)

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神馬先生から熱いメッセージをいただき、今できることはなんだろうと改めて考え、最大限のことを全力で取り組もうと心に誓った
若手の会メンバーでした。 (小島、新保、松下)

第1回 神馬征峰先生 前編「これまでのキャリア」

神馬征峰  Masamine Jimba

1985年浜松医科大学卒。飛騨高山赤十字病院、国立公衆衛生院、ハーバード大学公衆衛生大学院を経たのち、1994年からWHO緊急人道援助部・ガザ地区/ヨルダン川西岸地区事務所所長。1996年からネパール学校・地域保健プロジェクトリーダー。2001年からハーバード公衆衛生大学院、2002年から東京大学大学院にて国際保健研究・教育に従事。

希望と違う仕事をやり続けた7年間 
「やるからには一人前になれ」

━━━これまでのキャリアとそれを選択したきっかけを教えてください。

  •  最初に勤めたのが飛騨高山の赤十字病院。いくつかの有名な研修医病院を受けたが、全部落ちた。たまたま求人をみつけたところが高山赤十字病院。面接で院長と話が合い、2年間就職した。ただ学生の時から国際保健の仕事がしたかったので、いつか途上国の仕事がしたいと思っていた。
  •  浜松医大の学生だった時、公衆衛生学教室に出入りしていて、教授に将来結核の専門家になりたいと話していた。赤十字病院にいたころ、その話を覚えていた教授が国立公衆衛生院で呼吸器関係の仕事のポストが空いたから、結核と関係があるだろうし、行きなさいと言ってくれた。学生時代お世話になった伊藤邦幸先生に相談したら、「いいんじゃないか」というので行くことに。東京に行ったら国際保健に近い仕事ができるかもしれない。また公衆衛生は一人一人の患者さんを診るよりもたくさんの人達の予防ができる大事な分野。加えて、東京に行っても大好きだった臨床は続けられると思っていた。
  •  ところが行ってみると全然話は違っていた。まず、臨床ができない。しかもやり始めた仕事はネズミの動物実験。一番嫌っていたこと。ただ入ってしまったからには仕方がなかった。それでも、動物実験をやりつつ、公衆衛生の諸先生と知りあえた。実験をやっていたから、数字の扱い方とか、基本的な統計とか、そういう勉強もしっかりできた。
  •  とはいうものの、それを一生続ける気はなかった。当時、東京大学の公衆衛生学教授だった山本俊一先生に相談したところ、自分の経験を語ってくれた。公衆衛生学教室入局後しばらくして教授が代わり、山本先生はそれまで関心がなかったツツガムシ病の研究をやることになった。ツツガムシ病はネズミを媒介して感染する病気。日本くまなくネズミ捕りを10年くらいやって、日本で「俺ほどネズミ捕りが上手な人はいない」というくらいになった。それと同時に疫学のプロとして成長した。「やるからには一人前になれ、ネズミ取りよりはいいだろう」、「自分の専門分野で一人前でない者が何を言ったって誰も聞いてくれない。とりあえず今の分野で一人前の論文が書けるまでそれをやれ」と助言してくれた。それにしたがって、ネズミの研究をずっとやった。どれだけやったかというと7年間。

つながりからのオファー
自分がしたいことを人に話す


  •  ただ途上国へ行きたいという気持ちはずっとあった。でも、7年も経つとそろそろ無理かなって思いだしてくる。そんなある時、ボストンの寿司屋でA型肝炎をもらって、日本に帰ってきて約1か月入院。退院後は以前ほど仕事ができなくなり、辞めてもいいかなと思い始めていた。
  •  そうしたところに、公衆衛生院の元同級生でWHOに行っていた友人から、WHOの仕事に就かないかという誘いがあった。NGOや赤十字で働かないかというオファーも来た。当時から結核研究所にいた石川信克先生に相談したところ、「WHOにはなかなかいけるチャンスが巡ってこないからWHOにしたら?」という。そこでWHOの仕事を選んで、ガザ地区へ行った。ガザ地区とヨルダン川西岸地域で2年間働いて、その後どうするか。残りたい気持ちはあった。しかし、当時WHOの財政基盤が悪化しており、WHOに留まらない方がよいと言われていた。そこでネパールのJICA・日本医師会によるプロジェクトに移った。当時ネパールでJICAプロジェクトの専門家をやっていた先生が後継者を欲しがっており、これは良いと思ってネパールに行くことにした。
  •  ネパールで働いて5年目、東大のこの教室の前任である若井教授がネパールにやってきて、現職を紹介してくれ、応募することにした。特にネパール行きは自分で選んでというよりは、話が来て飛びついた。大学についてもそれしか選択肢がなかった。ただそのためには、いろんなところで、自分はこれがしたいと主張していたことがきっかけになったと思う。公衆衛生院の時も途上国で仕事がしたいと友人に話していた。相談した先生たちはキリスト者医科連盟とか、キリスト教海外医療協力会というNGOで知り合った先生たち。そのつながりで多くの機会を得た。学外のNGOつながりが大事だったのかもしれない。

━━━複数の選択肢があった時はどのように選択しましたか?

  •  結構直感で選ぶ。ガザの時は面白そうだなと思って決めたし、ネパールについては、学生時代からの諸先生の影響を受けていた、いつか行きたい国だった。直感ではあるけれども、その前に、直感を強めてくれた準備状況はあったと思う。
  • (2014年12月 東京大学本郷キャンパス 国際地域保健学教室にて)

インタビュー後編は、健康教育へ興味をもったきっかけや若手への熱いメッセージをお届けします!

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