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日本健康教育学会
Japanese Society of Health Education and Promotion

学会員インタビュー  

日本健康教育学会には、健康教育・ヘルスプロモーションを中心に幅広い分野で研究や実践に携わっている学会員の先生方がたくさんいらっしゃいます。
若手の会のメンバーが様々な分野で活躍する学会員の先生方に、これまでのキャリアや若手へのアドバイスをインタビューしてお届けします。

若手の会についてはこちらをご覧ください。

 

第13回  荒尾 孝先生  前編 
「将来の健康教育分野への願いと学術大会への想い」 

荒尾 孝 Takashi Arao

1970年福岡教育大学教育学部卒業.1974年順天堂大学大学院体育学研究科修士課程修了.財団法人・明治生命厚生事業団体力医学研究所勤務.2005年早稲田大学スポーツ科学学術院教授に就任、現在に至る.


ポピュレーションアプローチに対するこだわり

 
━ 先生の今取り組んでらっしゃる研究内容を教えてください!

  •  現在は、地域全体の健康レベルを上げる方法と評価について研究している。具体的には、地域高齢者全員を対象とした生活実態調査を実施し、膝痛や抑うつ、認知症をターゲットとした介護予防プログラムを開発している。

━ 「地域全体を対象とした研究」という点にはこだわりがございますか?

  •  そこには非常に強いこだわりがある。10年くらい前まではハイリスク者を対象として行動変容による生活習慣病予防がメインであったが、ベビーブーム世代が後期高齢者となる2035年に向けたこれからの健康づくりにおいては、ハイリスクアプローチだけでは大きな社会的成果を挙げることができない。これからの研究においては医療費や介護費の抑制による社会保障制度の維持といった社会的成果に貢献できる研究が求められる。そのためにはハイリスク者だけでなく、全ての人を対象とした研究の実施が重要であるので、強くこだわっている。そのこだわりが今回の学術大会のテーマに象徴されている。

  

 キャリアパス

━ 先生のこれまでのキャリアパスを教えてください!

  •  両親が学校の先生であったこともあり教育学部に入った。
  • 教師になりたかったわけではなく、卒業単位もギリギリだった。
  • 卒業前に「自分が何をやりたいのか?」を考えた時に、途上国への支援事業を通じて国際問題解決に貢献したいと考え、青年海外協力隊を目指した。でも、2年待っても海外には行けなかった。このまま待っていても仕方ない、自分から仕掛けなければ!と考え、新たな道を目指すことにした。
     次に何をやりたいかを考えた時に、思い浮かんだのは勉強だった。僕たちが学生の時には学生運動真っ盛りで、ほとんど授業なんか受けられなかったから、改めて何かをしっかり学びたいと思った。それを実現するために大学院に入った。この頃に研究者として生きていくことを考え始めていた。

  •  大学院では石河利寛先生の研究室に入り、運動生理学について研究していた。この頃は猛烈に勉強したね。就職は石河先生の紹介で明治安田厚生事業団に入ることになった。タイミングが良かったんだね。
     研究所ではそれから57歳まで働いた。最初は生化学分野の研究をしており、ずっとマウスの研究をしていた。生化学でも結構楽しくやってたんだけど、40歳ぐらいの時に保健師をしている妻から糖尿病罹患者を対象とした健康教室を頼まれてやることになり、健康教室と参加者の自主活動グループ化をし、それが初めての健康教育の仕事となった。それまではいつもマウスの研究をしていたけど、健康教育を通じて人の健康に貢献できることを実感できたのは非常に大きな喜びだった。その後、40代中頃に生化学から公衆衛生分野へ大転換することとなった。40代は研究者として一番専門性が高められる良い時期だし、そんな時に分野を変えるなんて非常に珍しいと思うけど(笑)。当時の仲間から「見事な転身ぶりですね」って言われたこともあったなぁ.
     疫学分野において成長することができたのは、柳川洋先生との出会いが大きいね。厚生労働科学研究費補助金の公募が始まった年に申請書を出したんだけど、初めてやるものだから勝手がわからない状態で、申請した分野と申請書の内容がずれていて採用はされなかった。でも、審査委員の先生が柳川先生に「面白い研究をしている人がいるから面倒をみてあげてほしい」と紹介してくれたらしく、柳川先生の研究グループに入れることになったんだ。その時期に人間関係の構築や本格的な疫学手法について勉強をすることができたね。
     50歳を過ぎ、研究者人生最後の仕事は、人材を広く育成することが自分の使命と思い始めるようになった.ちょうどその時期に早稲田大学スポーツ科学部から誘いを頂いた。すぐには難しかったけど、3年待ってもらい、その話を受けることにしたんだ。

(2016年12月 早稲田大学早稲田キャンパス にて)

インタビュー後編は,先生の健康教育分野のへの願いと,若手への応援メッセージを届けします!(根本,中村)

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第12回  林 芙美先生  後編「キャリア形成と若手へのメッセージ」

 研究者としてのキャリア形成

━━ 学位取得後から現在までのキャリアパスの詳細ついて教えてください!
 
 食生態学研究室の院生・スタッフと修士課程を修了し、米国登録栄養士の資格を取得したのち、帰国しました。その後、東京医科歯科大学大学院に進学し、博士課程を修了しました。博士課程の在籍期間中は、当時の独立行政法人国立健康・栄養研究所で、学童期の子どもや妊娠可能な年齢の女性を対象とした介入研究や、国民健康・栄養調査データを用いた観察研究に従事しました。
 学位取得後は、国立保健医療科学院や女子栄養大学でポスドクを経験しました。今回の受賞のきっかけとなりました特定保健指導に関する研究は、女子栄養大学で特別研究員をさせていただいた際に始めた研究です。その後、千葉県立保健医療大学にて教育・研究に4年間従事したのち、現在の所属である女子栄養大学に専任講師として着任いたしました。

 教育面では、管理栄養士養成課程において栄養教育分野の教育を行っています。研究面では、前述させていただいた特定保健指導に関する研究のほか、健康の社会的決定要因に関する研究や、大学生の保健教育の一環として結婚や妊娠時期計画支援に関する研究にも関わる機会もいただきました。現在は、女性の健康の社会的決定要因の研究に従事しています。

  



学生時代または若い頃にしておいてよかったと思う若手へのアドバイスがあれば、教えてください!
 
 若い頃に「しておいてよかった」というのは全ての経験が該当するので、無茶な経験も失敗も全て今思えばよい経験です。大学進学時も、学びながら専攻を決めることができる点がきっかけとなり、アメリカに留学しました。もともとは政治や経済に関心があったのですが、途中で栄養学を学ぶ決心をし、大学も転学しました。留学中は悔しい思いもしましたが、視野も広がり、修士課程も含めて僅か6年間という短い期間ですが、努力した分結果が返ってくるといった充実した日々を過ごすことができました。
 ただ、「もっとしておけばよかった」と思うことは、苦労してデータを得るような経験でしょうか。研究者としてのトレーニングは帰国してからですが、若い頃もそれなりに地方などにも出かけたり、介入研究に携わるなどの機会などもありました。しかし、何日も泊まり込みで特定の地域の調査をするなど、自分の足を使って調べる経験をもっと積んでおきたかったと思う気持ちもあります。
 自分の時間を100%使えるのは若い頃だけだと思います。仕事を始めれば関連する諸々の仕事・業務なども増えますし、女性の場合は特に結婚や出産などを経て役割が増えると、その分自分のために使える時間はどんどん減っていきます。もちろん、今の経験全てが将来の自分の糧にはなっていきますが、やはり気力も体力も十分な若いうちに、結果を気にすることなく、存分に色々な経験を積んでいただきたいと思います。そして、時間を有効活用する中で、プライベートも充実させて、エネルギッシュで楽しい時間を過ごし、人生を豊かにしていくことが研究にも生きてくると思います。
  

若手のうちは、少し無茶なことにもチャレンジできる時期ですね.
林先生,お忙しい中,貴重なメッセージを頂きまして,ありがとうございました.
(中村,根本)

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第11回  林 芙美先生  前編 
「健康教育に興味を持ったきっかけ」 

林 芙美 Fumi  Hayashi

1999年University of Delaware卒業.2001年Teachers College, Columbia University修了.2008年東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科博士後期課程修了.千葉県立保健医療大学健康科学部栄養学科 講師を経て、2015年4月から女子栄養大学栄養学部の専任講師として研究・教育に従事.

今回のインタビュー記事は、若手の会の担当者がメールや電話でご質問し、林先生に原稿を執筆していただきました。
若手の会では全国各地にいらっしゃる先生方とのインタビューの方法を検討中です。
林先生、若手の会の新たな試みにご協力くださり、ありがとうございました!


健康教育分野に興味をもったきっかけ

 
━━ 当学会の奨励賞受賞おめでとうございます!受賞した喜びを教えてください。

  •  ありがとうございます。このたび、多くの先生方のご指導のおかげで、奨励賞を受賞できたこと大変光栄に存じます。
     受賞演題名は「行動変容を促す効果的な生活習慣病予防の指導に関する研究」です。主に特定保健指導における減量を目的とした支援について研究した成果をご評価いただきました。
     特定保健指導を受けて減量に成功された方や、思うような結果につながらなかった職域男性を対象にインタビュー調査を行い、探索的に関連要因やそのプロセスを明らかにしました。また、量的研究も組み合わせ、得られた知見を基に作成された保健指導者向けの支援ツールの有効性を検証いたしました。本研究は、厚生労働科学研究の一環として実施したものですが、多くの先生方のご助言をいただきながら、初めて質的研究にも取り組みました。膨大な記録の切片をもとに、それらを積み上げてストーリーを構築していくプロセスでは、理論的に概念が体系化されていくことに喜びを感じつつも、分析や論文執筆において多くの苦労もありました。
     その度に、ご助言下さった諸先生方に、この場をお借りして深く御礼を申し上げます。今後、さらに研鑽を積み、貴学会でもまたその成果を発表させていただきたいと思っております。

  



━現在の研究あるいは健康教育分野に興味をもったきっかけについて教えてください。

  •  専門は栄養教育ですが、この分野に興味を持ったきっかけは学部時代にさかのぼります。
     大学はアメリカに留学しましたが、そこで「物」の栄養学ではなく「人」の栄養学に出会いました。それまでの私は、栄養学とは、栄養素や食品構成といった、何をどう食べるかといった食事の質が重要で、その情報を伝えたり、食事を届けることが栄養士の仕事だと思っていました。一時帰国をした際に実習させていただいた大学病院でも、栄養管理の中心は食事療法の遵守といった印象を受けました。
     一方、アメリカの大学では、行動科学の理論に基づく栄養教育の在り方や対象者主体の栄養カウンセリングを学びました。食事の質が重要であることは変わりませんが、その選択や準備においては知識だけでなく価値観や意欲、過去の経験といった様々な要因が関連しており、さらに周囲の人や地域等との関わりが食生活に影響をもたらすため、働きかけやきっかけづくりが重要であると考えるようになりました。そこで、栄養教育をさらに勉強するため、その専門大学院として歴史のあるコロンビア大学教育大学院に進学しました。

次回のインタビュー後編は,先生が歩んできたキャリアと,若手へのメッセージを届けします!(中村,根本)

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第10回  高倉実先生  後編「キャリアと若手へのメッセージ」


自分が進んできた道を信じて,貪欲な気持ちが大事



━━━ 筑波大学進学の動機,卒業後の進路について教えてください!

  •  私は中学,高校とラグビーをやっていてね.大学でもラグビーがやりたくて,筑波大学に進学した.4年間ラグビーに打ち込み,学部卒業後は,修士課程に進学した.修士課程のコースには「体育学」,「コーチング」,「健康教育」というテーマがあったけど,体育学やコーチングはあくまで「実技」.僕が打ち込んでいたラグビーも,競技であって,健康のためではない.修士課程のコースの中でも,人の健康づくりに興味があったから,健康教育のコースに進んだ.

━━━保健・体育の先生の道には進まなかったのですか?

  •  大学4年の就職活動の時期に,保健・体育の教員になろうと思って教員採用試験も受けた.でも,「自分にはまだ足りないものがある,研究に未練がある」と思い,修士課程に進むことにした.この時の決断が私の人生の分岐点かな.修士課程の研究テーマは,学生を対象とした保健行動論.今では街中にあふれているフィットネスクラブや健康教室などの健康づくりの場はまだまだ少ない時代だったから,保健体育で健康と言えば学校保健だった.それからずっと専門分野は学校保健.


チャンスを逃さずトライ!する勇気

━━━琉球大学に就任したきっかけは何ですか?

  • 修士課程を修了して,就職先を探していたタイミングで公募があった琉球大学にトライ!した(笑).タイミングも大事だけれど,チャンスだと思うことがあったら挑戦してみたほうがいい.そういう私は,実は就職するまで沖縄に行ったことがなかったけれどね(笑).
  • 就職した琉球大学は講座制ではなく,助手でも一人で授業や研究を進めていかなければならなかった.私は共同研究チームを組まずに,自分の好きな研究を独自に進めてきた.大変そうに思えるけれど,これが私の性に合っていてね.それでも,約30年間,今まで研究を続けてこられたのは,沖縄の風土や雰囲気が合っていたのかな.今では何千人もの人から調査の協力を得ることができるようになった.今の私の歳からでは,こんな素晴らしいフィールドを作ることは難しいよね.



━━━学校への調査の協力はどのように得ることができたのですか?

  •  琉球大学に来た初めの頃,▲▲高校には○○先生がいる,■■高校には○○先生がいる,というふうに知り合いの先生にお願いしていた.僕はラグビーをやっていたから,そのつながりがとても役に立った.たいていの高校には陸上部があるから,陸上部の顧問の先生にお願いしたこともある.そうしてだんだんと広がっていった.今度の学会で事務局長をお願いしている教育学部の宮城政也先生は,沖縄のほとんどの高校の先生を知っているので,サンプリングの協力をお願いすることもある.これは沖縄の研究者の強みかもしれない.2002年,2005年,2008年,2012年,2016年(予定)の計5回は,全県の約半数,つまり25~30校の高校を抽出して(各学年1クラス),約3000人強のサンプリング調査をすることができた.日本でこういうことができる環境は少ないと思う.


先を見据えて行動することが大切

━━━ 若手研究者にアドバイスを下さい!

  • 論文を書くこと.そして,査読のある雑誌に投稿すること.納得できない査読もあるけれど,「なるほどな」と思う査読もある.何よりも,誰かに指摘してもらわないと分からないことがたくさんある.大学院生のうちは指導教員がいて,就職しても講座制なら教授の先生に指摘してもらうことができると思うけれど,そういう環境がない人は,査読者を指導教員だと考えるのも一つの手だと思う.実際,僕はそうしていた.論文が掲載されれば実績にもなる.できれば国際誌に挑戦してほしいかな!
  •  あと,チャンスがあればいろんなフィールドに関わると良い.僕は一人でやるのが好きだったから,なかなか機会がなかった.僕らのような人を対象にしている疫学分野は,フィールドがなければ研究ができないでしょ.参加できるプロジェクトがあればできるだけ参加したほうがいいと思う.


━━━ 若手の頃研究費に困ったことはありませんでしたか?

  • 教養部にいた頃は,学内の運営交付金が潤沢にあったので困ったことはあまりない.もちろん,それだけでなく競争的資金にも応募していたよ.メインの学校保健研究だけではなく,興味のあること,面白いと思うことはできるだけやってきた.ボートセーリング(ウインドサーフィン)の研究やラグビーのレフェリーの運動強度の研究も競争的資金をもらってやっていた.だれもやっていない研究だったから,論文を書いた.研究費がないなら獲るしかない.科研費だけでなく,民間企業の助成金,自治体の助成金などに応募することが大切だと思う.若手のうちしか応募できないものもあるし,競争的資金を獲れば実績になるので,次の競争的資金を狙う時にもつながる.

━━━ ずばり,どうすれば採択されますか・・・?

  • 申請の時期になったら真剣に考えて,真面目に書くしかない.僕の場合は審査員をやっていたことがあるから,審査のポイントも心得ている.当たり前であるが,まずは応募する競争的資金の目的をしっかり把握して,評定項目それぞれに応えるように書いていくこと.もちろん研究実績も重要で,とにかく論文投稿や学会発表をたくさんしておくと良いと思う.ここで大切なのは,今行っている研究が次につながるように,「ストーリー」を考えておくこと.例えば僕は,科研費を獲った時から次の科研費のことを考えるようにしている.
  •  その他にポイントだと思うのは,分野外の人が見ても分かるように書くこと.僕は一通り申請書を書き終えたら,小学校の先生をやっている妻に見てもらうことにしている.この内容だったらお金をあげても良いと思うかどうかを聞く.あんまり良いとは言ってくれないけれど(笑).「この部分はさっぱり意味が分からない」とかは言ってくれるよ.

(2016年5月 女子栄養大学駒込キャンパス にて)

高倉先生から,健康教育への熱い想い,若手へのメッセージをいただきました.沖縄大会を終えて,次の課題は論文を書くことかな,と気合を入れる若手の会メンバーでした.(新保,町田,中村)

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第9回  高倉 実先生  前編 
「学術大会への想いと沖縄県の健康課題」 

高倉 実 Minoru Takakura

1981年筑波大学体育専門学群卒業,1983年筑波大学大学院体育研究科修了.1983年琉球大学教養部助手,講師を経て,1997年より琉球大学医学部助教授,2005年同大学教授に就任.


沖縄の人には健康教育を,学会に来た人には沖縄のことを,知ってもらいたい



━━━ 学術大会へ向けた想いを教えてください!

  •  沖縄県の大学の教員としては,沖縄県で学会員を増やすとか,少しでも沖縄の人が発表しようと思うとか,日本健康教育学会の認知度を高めていきたいという想いが一番大きいかもしれない.日本健康教育学会は研究分野がなんでもありの学会でしょ?それぞれの専門分野の人が,それぞれの専門の学会を作って細かく活動することが多いけれど,日本健康教育学会には医歯薬,保健体育,栄養,看護,保健師など,色々な分野・職種の人がいる.様々な専門家が集まって発表する機会を沖縄県で設けることに,大きな意味があると思う.
  •  今回は沖縄県で開催するので,沖縄に関するシンポジウムを入れた.みなさんに,改めて沖縄のことを知ってもらおうと思っている.
  •  みんなは,沖縄の健康課題について知っていますか?

━━━ ええと・・・


貧しくも長生きだった沖縄県の不思議

  •  沖縄は今まで長寿県で,それはみんなが知っていると思うけれど,現在の詳しい状況を知ってもらおうと思う.沖縄は,年間所得が最低で,進学率も低いし,失業率は高くて,経済状況がよくない.経済状況が悪い所は平均寿命が短く,健康状況も悪いことが多い.でも沖縄は貧しい県なのに,何年か前まで,日本で一番長寿だった.これは社会疫学的におかしいことで,沖縄は特殊な地域.僕達は昔からおかしいな,なんでかなと考えて,気候のせいとか,食べ物がいいとか,社会的な繋がりがいいんじゃないかという話をしていたけれど,これまで学術的に追及して書かれた論文は少ない.これは僕らが作らないといけない!ということで研究を進めてきた.まだまだ足りないこともあるけれど,ひとつずつそういう知見を知らしめたい.沖縄は世界でも注目されている.医学研究科の地域疫学セミナーでイチローカワチ先生を呼んだことがあってね.イチローカワチ先生は僕達と同じように「食べ物や遺伝子とはちょっと違って,社会的な繋がりがやっぱり重要なんじゃないか」と話していた.今回の学会のテーマも「結で作る健康教育」という名前を付けたんだけど,沖縄には「ゆいまーる」という言葉が昔からあって,なにかあったら助けるという助け合いの精神が強い土地柄なので,それが健康悪化のバッファーになっているんじゃないかと考えている.
  •  それから,同じ遺伝的素因を持つ沖縄県民でも,高齢者,僕ら世代,若者という戦前,戦中,戦後の時代の変遷の中で,戦前の人は長生きする,戦後の人は早く死ぬ.同じ沖縄県民の遺伝子だけれど,時代の変遷と共にこれだけ劇的に変化している.これでは遺伝子だけの問題とは言えないでしょ.
  •  DOHaD説(Developmental Origins of Health and Disease)じゃないのっていう話もあって,沖縄県は昔から低出生体重児が多くて,胎内環境が悪い中で生まれた子どもが,米国化された沖縄の食事をたくさん食べて一気に太ってしまい,僕ら世代は早く死んでしまうということも考えられる.今も低出生体重児は多いから今後も続いていく可能性がある.でも,イチローカワチ先生が言うには,この状況は男性にはあてはまるが,女性にはあてはまらないのではないかと.「330(サンサンマル)ショック」って,わかりますか? 都道府県別の生命表が5年おきに出されているけれど,その平均寿命の順位をとって,なんとかショックって言っている.沖縄は1995年より前まで男性も女性もずっとトップだった.でも1995年で男性が4位になった.県としては,4位でも長寿だったので,1995年に世界長寿地域宣言をして,順位が下がるのを食い止めようと思ったけれど,2000年に,男性が26位まで落ちてしまった.これが「26ショック」.でも女性はまだトップ.それから下がってきていて,2010年に男性が30位,女性が3位になった.これが「330ショック」.僕は色々な所で,「沖縄県民は330ショックでサンザンな目にあっていますね」と言っているわけ(笑).次の生命表が出る時にはまた落ちてしまう可能性があるけれど,今のところ女性の順位は高いから,DOHaD説だけではやっぱり説明ができない.他に考えられるのが,今まであまり注目されておらず,調査も少なく実態が不明で,科学的に証明されていなかった社会関係が鍵になるのではないかという話になっている.
  • ※DOHaD説:人の健康および疾患の素因の多くは,受精卵環境,胎内環境,乳児期環境にあるという説.


━━━一番興味があるのは,集団の力

  •  僕が一番興味があるのは,学校における集団の力.心理社会的,学校環境,学校風土,スクールコネクティッドネス,学校連帯感とか.欧米では,集団の力が個人の健康に影響しているということがたくさん研究されている.それを沖縄でやっている.集団の力とソーシャル・キャピタルは非常に近い概念だったので,ソーシャル・キャピタルを学校に適用して今に至っている.元々,社会や集団の力に興味があって,よくよく考えたら沖縄はそれが強いよねということに気が付いた.今は地域の健康作りの取り組みもやっていて,今度の学会のシンポジウムでも企画した.


━━━ どうして集団の力に興味をもったんですか?

  • 僕らがやっている研究は大規模集団に調査をするが,それは個人個人のデータの集まりでしょ.理論的には,個人個人は全て独立しているはず.その個人を集めたデータについて解析をしている.でも,この学校の子どもと,この学校の子どもは違うよねっていうのがあるじゃない?地域も同じことで,この地域とこの地域は,何かが違うと思うことがある.欧米は地域差がはっきりしていて,この地域は貧困地域,この地域は裕福な地域というのが明らかに分かれている.今では,地域の影響を取り除いて個別の関係をみるマルチレベル分析などが可能になった.でも日本は地域差というものをあまり考えていなかった.でも学校保健で研究をしていて,学校と学校の違いは絶対にあるなと思っていた.

(2016年5月 女子栄養大学駒込キャンパス にて)

インタビュー後編は,先生が歩んできたキャリアと,若手への「必ず役立つ」メッセージを届けします!(新保,町田,中村)

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第8回  戸ヶ里 泰典先生  後編 「尺度開発のお話と若手へのメッセージ」


目に見えない概念を扱う上で、必要となる尺度開発



━━━ SOC尺度をはじめ尺度開発の研究を多くされていますが、その経緯ややりがいは何ですか?

  •  尺度開発はいつのまにかたくさん行ってきましたね。多項目尺度を用いて研究をする際、きちんと検証されたものでないと使いにくいということがありますよね。自分が「こういう概念を研究的に扱いたい」と思ったときに、それに沿ったツールが見つからないことが多々あり、だったら自分で作るしかない、少し違うものを無理やり使うのも良くないと思います。そこで、尺度を開発してそれを使おうという心持ちで研究をしているうちに、いつのまにか、ということです。
  •  その尺度を使いたいと思っている人は自分だけでないと思うし、論文になっているとそれを引用できて、その後論文を書くのも楽になり、良いことだと思っています。実際のところ尺度開発に関する論文以外の論文のほうが多いのですが、参照される機会は尺度開発のほうが圧倒的に多いので、多く尺度開発をしている、というような印象になるんだろうな、とも思いました。
  •  翻訳する場合もあるのですが、原版を考えた人も、日本での成果を知りたいと興味を持ってくれたり、自分の尺度が使われることがありがたいと思ってくださいます。その結果をお返していく上でも論文を書くということは大事なことなのではないかと思っています。

━━━ 尺度開発の研究スキルはどのように学ばれたのですか?

  •  大学院修士課程のとき、当時の指導教官である山崎喜比古先生の授業で、尺度開発をテーマに「Scale Development」1)という本の輪読を行いました。それが今も、研究方法論として身に付いています。山崎先生も尺度開発にとても詳しく、目に見えない概念を測る・扱うというのが大事な領域なので、それを扱う方法は絶対に必要だということでその授業が行われていました。それでかなり勉強して尺度開発のステップを学びました。それがいまだにベースにあります。自分が測りたい概念を臆せずに尺度として開発していくというスキルは、社会科学系の研究を行う上では大きな武器になると思います。「Scale Development」は良い本ですね。ICPSR(Inter-university Consortium for Political and Social Research)サマーセミナーでもテキストとして使われていました。すでに版も重ねていると思います。

仲間との出会いから、研究観を身に付ける

━━若手、大学院生の頃にやっていてよかったと思うことはありますか?

  •  やっていてよかったことは、人付き合いですね。大学院OBの先輩たちや、同期、後輩たちとのつながりがたくさんありました。同じ領域で同じ研究をしている人たちとのざっくばらんな付き合いというのは、今は、勤務先の特性からいってもほとんどないです。
  • 研究の話を直接しているわけではなかったのですが、研究に対する向き合い方や、研究者としての生き様、どういう研究をするのがよいのか、どういう研究がおもしろいのかという部分について、話の端々から受け取っていたり渡していたりしていたように思います。若手の時は、何が、どういう研究が大事なのか、よい、おもしろい研究とは何なのかというような見方や研究観を貪欲に培える時期なのではないかと思っています。
  •  ただ、先輩・後輩の関係は、研究で煮詰まったとき、直接的に手助けしてもらうのとは少し違うと思います。研究というのは結局は自分でやるしかないでしょう。ただ、先輩たちの話を聞くことで、今ある壁は大したことないのではと思えてくることもある。それに、自分を客観視できることもあるかもしれない。煮詰まったときも、救いになったかもしれない。指導してもらうというより、共有したり、自分の見方、考え方、哲学ですかね、それを磨いてくれたような気がしました。それがすごく大事なのかなと思いました。


━━━若手に期待すること、メッセージをお願いします!

  •  自分はかなり特殊な道を歩んでいると思っているので、あんまり真似してほしいとは思ってないんですが(笑)。それに、自分もまだ若手といいますか、駆け出しの研究者だと思っていますので、あまり偉そうなことは言えないと思っています。
  •  この領域はそんなに多く研究者がいないので、この若手の会のようなつながりはすごく大事にした方がいいと思います。たまたまこの領域に来て、たまたま出会った人たちがいると思うのですが、研究室、学会で出会う人たちにしても、何かの縁だと思ってつながりを大事にした方がいいと思います。
  •  その一方で、同じ若手といっても年齢や性別、経歴も違いますね。また研究テーマは皆バラバラだと思うんですね。それぞれの研究で、大事な部分、研究を進めるペース、何が良いことなのか、というような研究遂行上の問題点は、各領域、各テーマで全然違うところを目指していると思います。ですので、その違いをお互いに認め合うというか、器の広さみたいなものを身に付けていくというのもとても大事なのではないかと思います。競うことは大事だと思うけども、「あの人は、、、この人は、、、」と気にし過ぎない。他人と比較しない。自分の研究は自分でしか最終的にどうなるのかわからない、自分で舵を取っていくしかないと思うので、そこを考えながら、周囲の影響を受けながら、研究を、研究者としての人生を進めていくことが大事なのかなというところですかね。
  •  研究は一人ではできないので、共同研究者がいることはとても大事なことだと思います。一緒に研究できる人が周囲にいることはありがたいことだと思います。研究を進めていくうえでは、研究会議というかディスカッションは必須だと思います。一つの方向に向かいつつも、研究者である別の人間同士がお互いに刺激を与えあい、影響しあい、アイデアを化学反応させあいながら進めていくものだと思います。
  •  けれどその中でどこか一人でやらなければいけないことも出てくることになります。データを解析するのはコメントをもらうことはあっても基本的には一人でやります。研究室によっては分担することもあるかもしれませんが、概ねこの領域では論文の執筆は共同研究者からコメントをもらいつつも一人で書くことが多いのではないかと思います。自立した研究者というのは、研究は一人ではできないのだけど一人でやる、というあたりをうまくできる人なのだと思うんですよね。
  •  若手のうちは、学位論文を書きあげるくらいまでは、先行研究や研究方法論に関する知識を身につけ、研究技術を磨くことで手いっぱいかもしれませんし、それで良いと思います。そのあと、若手研究者として道を歩み始めるころは、その辺の研究者同士の距離感だとか、研究者はどういう生き物なのか、というあたりの知識や、研究するってどういうことなのか、自分がどういうふうに研究者として生きていくか貪欲に考えていかないといけない時期だと思います。
  •  また、進路がなかなか決まらないという問題もあるかもしれませんし、たとえ研究機関や実践の場に就職したとしても授業や業務で追われ、それでほとんどの時間が費やされてしまう、ということもあるかもしれません。ただ、若手へのメッセージとしては、研究マインドはどのようなことがあっても持ち続けてほしい、ということでしょうか。どのような方面に行くにせよいろいろな人の後ろ姿を見、話を聞き、失敗をし、迷惑もかけながら、足元を見て自分の研究を一歩一歩進めていくことが大事なのではないのでしょうか。

(2015年11月 放送大学 東京文京学習センターにて)

若手のうちは、研究のスキルを身に付けるだけでなく、研究仲間との出会い、交流を通して、研究者としての生き方、研究観を培う上でも大切な時期であることを実感した、若手の会メンバーでした。(角谷、小島、中村)

文献
1)Robert F. DeVellis. Scale Development THIRD EDITION Theory and Applications. SAGE Publications, Inc, 2012

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第7回  戸ヶ里 泰典先生  前編 
「健康教育に興味を持ったきっかけと、これまでのキャリア」

戸ヶ里 泰典  Taisuke Togari

2001年金沢大学医学部保健学科卒業。2008年東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻博士後期課程修了。東京大学医学部付属病院看護部看護師、山口大学大学院医学系研究科助教、専任講師を経て、2011年4月から放送大学准教授として研究・教育に従事。


初めて研究成果を発表した想いいれのある健康教育学会



━━━ 当学会の奨励賞受賞おめでとうございます!受賞した喜びを教えてください。

  •  とても光栄です。現在活躍されている先輩方が受賞されてきた賞ですので、とても重みのある賞をいただいたと思っています。引き続き、研究活動、学会活動に励みたいと思います。

━━━ 健康教育に興味を持ったきっかけを教えてください。

  • 日本健康教育学会は私が最初に「学会発表」をした学会でした。そのときは修士論文の内容で沖縄での開催(第12回、会長は崎原盛造先生)でした。来年の第25回学術大会も沖縄ですね。なぜ本会で学会発表をしたかというと、本会には当時の所属研究室(東大院・健康社会学教室)の先輩方が関わっており、指導教官の山崎喜比古先生(現在日本福祉大学)に勧められたことが大きかったです。
  • Sense of coherence(SOC)に関する研究テーマを選んだきっかけは、修士論文のテーマを考えなければならない時期に、ちょうど所属研究室の先輩方が翻訳した「健康の謎を解く」1)という本が出版され、その本を読んで、面白いと思ったことが第一歩だったのかなと思います。また、私はうまく言葉にはできていなかったのですが、当時は対象論よりも、理論や方法論に関心があって、そのことを山崎喜比古先生が見抜いて(笑)、まあやってみたら、という話になったような気が今はします。

研究者としてのキャリア形成

━━━大学進学、大学院進学と進んできたキャリアについて教えてください!

  • 大学生の時は質的研究法に興味を持っていました。卒後の進路を考える際に、当時在学していた金沢大学でお世話になっていた西村真実子先生(現在石川県立看護大学)に相談したところ、東大の大学院がよいのではないかと勧められ、質的研究について理解がある先生として何人か紹介いただいた先生の一人が山崎先生という状況でした。入学して、山崎先生は量的研究をずっとやってきていて、ここ数年興味を持ち始めて特論で取り上げていた、ということを知りました。また、自分が関心を持っていたのは、方法論のことばかりであり、具体的に何をテーマに何を明らかにしたいのか、全くはっきりしないまま修士課程が過ぎていきました。結局テーマはギリギリになって先ほど述べたようにSOCに関することになり、SOCに関する研究を調べると量的研究法を用いた、当時はやり始めていた構造方程式モデルを用いたものばかりが出てきていました。また、当時山崎先生や中山和弘先生(当時愛知県立大学、現在聖路加国際大学)が担当していた人文社会系研究のための多変量解析入門セミナーという授業を受けて、量的研究法をまず抑えることに切り変えました。こんな状況ですので、全く、右往左往というかフラフラしている院生で、先生方や先輩方は、心配や迷惑をかけたというか、こんなのでこれから先本当に大丈夫なのか、と思われていたのではないかと思います。
  •  博士課程に進学できることになり、多少なり研究が評価されたことによって自信が付いてきました。大学院博士課程1年生の時期は、色々な研究プロジェクトにかかわる事ができました。色々な共同研究者の先生方と話をすることができたし、ほとんどの時間を研究に当てていました。お金はないけど、時間はある(笑)。若気の至りというのかな?(笑)。今思えばとても貴重な1年間でしたね。
  •  大学院の修士課程には、学部を卒業してそのまま進学した関係で、ペーパー看護師のままできていて、ずっと臨床経験を積む可能性を心の片隅で考えていました。ただ、看護師の仕事は簡単なものではなく、20代のうちに経験をしておいた方がよいのではないかとも考えていました。そこで、大学院で休学できる期間を利用して看護師として病院で現場の仕事をしてみよう!と思い、思い切って博士課程1年が終わった段階で現場にでました。看護師の仕事は最初の1年目はとてもとても大変でしたが、慣れてくるにしたがって楽しくなっていきました。しかし、学振研究員の採用が決まったこともあって、2年で大学院に復帰しました。結局自分は研究者として身を立てていこうという気持ちが勝ったのだと思います。やはり、博士課程の最初の1年間は研究だけに集中できたのはとても貴重な時間だったと思います。この1年間を過ごしてから看護師として働いたので自分の中で選択しなければならないときに、研究者の道を選ぶことができました。休学はしていたんですが、多くの調査データを抱えていたということもあり、休日や病院勤務の合間に研究室に行って論文を書くことも継続していましたね。

━━━博士課程修了後の進路について教えてください!!

  • 最初の就職は、山口大学です。博士課程3年生の11月までは博士論文に集中していました。年があけて、博士論文の審査を終えてから、指導教員のところに相談に行きました。その時は、いずれ話が出てくるはずだから、あまり急がずじっくり待つことが大事だといわれました。そうしたら翌日に、山口大学医学部衛生学教室の原田規章先生から山崎先生にちょうど人事の話が来て、これはぴったりじゃないか、ここはぜひ行った方がよいとアドバイスを頂きました。東京ではすでに自分が関わっている研究プロジェクトがいくつか走っているうえ、全く縁がなく行ったこともない離れた地で悩みましたが、先方の先生にもお会いして、基本的には教務をこなせば後は自由にどんどん研究をしてよいとも言われ、いろいろ考えた末山口行きを決意しました。
  •  山口大学では医学部の医学科に所属していました。そこには基礎医学系領域の若手研究者でもある同世代の教員がたくさんいました。それに医学科の教員であっても、みな医師ではなくて他分野(理学、化学、農学など)の出身で、同じような悩み(将来のこととか、笑)をもっていました。他分野の先生なので共同研究をしよう、ということにはならないのですが、学生のときのような、プライベートで飲んだり歌ったり、愚痴を言ったり(笑)。今でも交流はありますし、素敵な仲間に出会えて、とても大きな力になりました。
  •  一方で、関心領域である健康社会学領域で「一緒に研究する仲間」がほしいと思っていました。自分が中心となって行っていた研究プロジェクトが次々ひと段落すると、ペーパーを書くことに追われる一方で、次の仕事(研究)について考えるようになりました。そのようなときに放送大学に勤めていた大学院の同じ研究室の先輩でもある井上洋士先生からの誘いがありました。当時研究仲間は基本的にみな東京にいましたし、井上先生が比較的身近にいるという環境では、きっと何か良い共同研究ができるのではないかという期待もあり、放送大学に移ることにしました。

(2015年11月 放送大学 東京文京学習センターにて)

インタビュー後編は、研究テーマの尺度開発を行うに至った経緯と、若手への熱いメッセージをお届けします!(角谷、小島、中村)

文献
1) アーロン アントノフスキー:Aaron Antonovsky 著, 山崎 喜比古,吉井 清子 翻訳.健康の謎を解く―ストレス対処と健康保持のメカニズム.有信堂高文社,2001.

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第6回  衛藤久美先生 後編 「若手へのメッセージ」

点と点がつながっていく実感



━━━ 今の仕事に就いたきっかけと、現在行っている研究の内容について教えて下さい

  •  アメリカから帰国後、就職したいと考えていましたが、研究を仕事にするには先に博士号を取った方が良いと周りに強く勧められました。悩んだ末、博士課程に進学しようと決めた直後に今のポストに空きがでて、声をかけていただきました。入職するときに上司の武見ゆかり先生と3年間で博士号を取ることを約束しました。結局4年かかりましたが、周りの方々のご協力とご指導のおかげで何とか博士論文をまとめることができ、博士号を取得することができました。
  •  また、現在、坂戸市の食育推進委員を務めています。坂戸市では市独自の食育プログラムを平成19年度から実施しています。坂戸市の食育プログラムでは、プログラムを始める1つ前の学年、つまり食育プログラムを学習していない学年と初めて食育プログラムを学習した学年の小5、小6、中2に調査を実施し、学習効果の検討を行っています(現在継続中)。今年度は、プログラムを始める1年前の子ども達が20歳になります。子どもたちが20歳になる頃に調査を実施しようと当初から計画されていました。そのため、今年度研究面では、この調査の実施が私の最も大きな仕事となります。大人を対象として後ろ向きに子どもの頃の食事を尋ねる研究はありますが、前向きにこの年代の子どもを追跡する研究は日本ではまだ少ないので、過去のデータとマッチングできる子はマッチングして、過去と現在の食生活の状況を比較していきたいと思っています。


━━━これまでのご経験が、現在きれいにつながっているんですね

  • 初めから意図していたわけでは全くないのですが、点と点がつながるってこういうことなんだ、と実感しています。

学生でいられる時間を大切に



━━━若手研究者へのアドバイスをお願いします

  •  大学院生の間は悩むことがたくさんあると思いますが、悩むときはとことん悩むことが大事だと思います。とことん悩んで出した答えは後悔しない、というのが私の持論です。今教員として、学生の悩みもたくさん聞きますが、よく悩みなさいとアドバイスします。さらっと悩んでだした答えは後悔することがあるからです。大学院生は、指導教員から「あなたはどうしたいのか」と聞かれるなど、自分が決断しないといけないことが学部生よりも多いと思います。周りの人に相談しながら、しっかり悩み抜いて決断することを大事にしてほしいです。
  •  また、大学院生の頃は、一番論文を読む時間がしっかりとれる時だと思います。私も修士課程の時に読んだたくさんの論文がベースとなり、教員として働いてからはその上に積み上げていっている感じです。働きながらだと論文をじっくり読む時間を作るのは難しいです。学生時代が最も論文を読むことができるので、読むのは大変ですが、なるべく多くの論文を読んでほしいと思います。

━━━先生は英語が堪能ですが、それでも論文を読むのは大変でしたか?

  •  大変でしたよ。分野が違えば言葉も違いますし、学部から大学院となるといわゆる研究用語に慣れるまでは大変なので、読んで慣れるしかないと思います。


━━━若手研究者に期待することがあればメッセージをお願いします。

  • 若手の会があるのがうらやましいです。私が修士課程に在籍していた時には他の大学院生や、若手研究者との繋がりがあまりなかったので、私の時にもあったらよかったなと思います。
  •  私の場合は、大学で働き始めた頃から、健康教育学会の栄養教育研究会に5年以上関わらせていただいています。他の大学の先生や研究者、現場の方々と交流できる場なので、とてもよい刺激となり、貴重な学びの場となっています。日本健康教育学会はこのように、他職種や他大学の先生との交流が多いのでとても勉強になっています。若手研究者の皆さんには、若手の会のような横のつながりを大切にして、お互いの研究を高め合っていくことを期待しています。

━━━これまでのキャリアで女性研究者としての強みや悩みはありましたか?

  •  女子大に勤めているので、女性が多く、女性であることの強みは良くも悪くも感じてないと思います。女性だからというわけではなく、常に一研究者として何ができるかといったことを考えています。研究の分野が栄養教育、公衆栄養学であることを考えると、栄養学を専門にしていない人の視点は忘れずにいたいと思っています。私自身が違う分野から今の職業に就いているので、余計にそう考えています。学生時代の友人との何気ない会話の中でも、栄養の専門家ではない人の実態や感覚を知ることを大事にしています。これは、女性研究者だからというより栄養学に携わる研究者だからですね。そういった視点は大学の実習で学生を指導する際にも役立っています。

博士号を取得してみえてきたもの

━━━博士号を取得してから何か変化はありましたか?

  •  博士論文を書いている時は、仕事の合間に時間ができたら研究をしていましたし、常に研究のことを考えていました。細切れの時間では研究をすることが難しいので、朝早い時間や夜遅い時間など集中した時間を取るようにして、論文を読んだり、論文を執筆したりして、仕事と研究の日々でした。
  • 博士号を取得した後は、これまでより自分の時間を大事にして、おいしいもの食べに行ったり、旅行に行ったり、友達に会いに行ったりと、自分の時間を充実させるようにしています。

(2015年8月 女子栄養大学坂戸キャンパスにて)

学位を取ることの重みが伝わってきました。様々なご経験を経て、充実した研究生活を送られている姿に、大いに刺激を受けた若手の会メンバーでした(河嵜、秦)。


第5回  衛藤久美先生  前編 
「健康教育へ興味を持ったきっかけ・学生時代のご経験」

衛藤 久美  Kumi Eto

2001年国際基督教大学教養学部卒業、2003年女子栄養大学大学院 栄養学研究科修士課程 修了。2007年ニューヨーク大学大学院 教育学部 修了/MPH取得、2013年女子栄養大学にて博士号取得。2007年~2008年ニューヨーク市保健精神衛生局 慢性疾患予防・管理部 特別アシスタントを経て2009年4月女子栄養大学 栄養学部 助教に着任、現在に至る。


若手の会が目指したい若手研究者!



━━━ 当学会の奨励賞を受賞された喜びを教えてください

  •  本当にありがとうございます。私自身がうれしいのはもちろんなのですが、私以上に周りの方が喜んでくれてくださいました。だから私がこのような賞をいただけたのは、私を今まで育ててくださった先生たちのおかげだと、改めて感謝する機会になりました。

家族のコミュニケーションから食事・栄養へ

━━━健康教育に興味をもったきっかけは何ですか?

  •  大学の時は、国際関係学科の中で国際コミュニケーション学専攻に所属していました。コミュニケーションや社会学・心理学など、生活や人に密着した分野に、そのころから興味があったのだと思います。その中でも親子関係や家族関係に興味があり、文献などを調べていく過程で、家族がコミュニケーションを図る場としては食事の場が大きいのではないかと考えました。そこから食事や栄養の方に関心が動いていったのですが、文系中心の大学だったので、それこそ健康教育も栄養学もないですし、図書館に行っても全然資料がないので、どうしようと思っていたところに出版されたのがこの本だったんです。「知っていますか子どもたちの食卓」という、当時女子栄養大学の教授でいらっしゃった足立己幸先生が、1999年に全国の小学生を対象に調査した内容を一般向けにまとめた本です1)。この本を手に取る機会がたまたまあり、これを読んで、こういうことがしたいんだと思いました。このことがきっかけで大学院に進学したいと思うようになり、足立先生にお話を伺いに行きました。そうしたら、翌年にアメリカで同じ調査を行う予定があり、「じゃああなたその調査で修論書けばいいわよ」ということになりました。そこから栄養学の勉強を始め、修士課程に無事入学することができました。今思うと、本当にすごいご縁だったなと思います。

インタビューから着想した研究テーマ



━━━修士課程ではどのような研究をされていたのですか?

  • そういうわけで、最初はアメリカで共食に関する調査をするつもりだったのですが、同時多発テロ事件があって先延ばしになってしまったんです。どうしようかとなって、結局、修士2年の時に、子どもたちにインタビューをすることになりました。元々、足立先生の調査では、共食をテーマにしていて、誰と食べているかということが中心だったのですが、私の場合は学部の時に家族コミュニケーションを勉強していたので、共食をしている時にどんなコミュニケーションがあるのかというところまで掘り下げたいと思っていました。小学校5-6年生を対象としたグループインタビューを4グループに実施したところ、その中で少数ですが、家族は会話をしているけれども、親やおじいちゃん、おばあちゃんのような大人が話をしていて、自分はそこに入れないからつまらなかったという子どもがいたんです。そういうことは全然想定していなかったので、子どもが会話に参加しているか、子どもが自分から話すかどうかということに注目することにしました。インタビューをベースにして質問紙調査を行い、食事中の自発的コミュニケーションにフォーカスして修士論文をまとめました。

アメリカでの大学院生活

━━━ニューヨーク大学大学院でのご経験について教えてください

  • 栄養教育や公衆栄養の勉強を深めたいと思い、ニューヨーク大学大学院に留学しました。そこでは、公衆衛生学プログラムの中で公衆栄養学を専攻していて、Master of Public Health(公衆衛生学の修士号)を取得するための必修の一つにインターンシップがありました。研究というよりは実践に近い形で、低所得層を対象に様々な食生活支援をしているNPO法人が行っている栄養教育プログラムに関わりました。低所得層の子どもが多い小学校では野菜・果物の摂取不足と肥満が大きな問題だったので、野菜をもっと食べようとか、野菜と親しくなろうといったプログラムを行っていました。アメリカでは、「野菜をもっと食べる」、「炭酸飲料を減らす」、「炭酸飲料の代わりに水を飲む」といった栄養教育が多かったです。アメリカ人にとっては、シンプルイズベストというか、とにかく具体的ではっきりした目標がより効果的な栄養教育になるという考え方なので、日本のような、バランスのよい食事について理解するという栄養教育はちょっと複雑だと思われているようです。私は逆に、それは日本らしさだと思っています。日本の栄養教育も素晴らしいので、日本の栄養教育をもっと海外に発信しなければいけないのでは、と感じました。
  •  また留学中には、先ほどお話した、日本の修士課程在学中に延期になってしまった調査を、コロンビア大学ティーチャーズカレッジ(教育大学院)のコンテント教授らと足立己幸先生の共同研究として、実施することができました。コンテント教授は栄養教育の第一人者で、行動科学理論に基づいた栄養教育の専門家です。TPB(Theory of Planned Behavior, 計画的行動理論)をベースにした共食に関する調査票を設計し、郵送法で調査を行いました。また同じ時期にコンテント教授が担当されている栄養教育の授業を履修する機会も得ました。その時の教科書がこちらになります(写真参照)。その日本語版が今年の4月に出版され、私も監訳者の1人として関わらせていただきました2)。

(2015年8月 女子栄養大学坂戸キャンパスにて)

インタビュー後編は、博士号取得時のご経験や、若手へのメッセージをお届けします!

  • 文献
  • 1)足立己幸,NHK「子どもたちの食卓」プロジェクト. 知っていますか子どもたちの食卓―食生活からからだと心がみえる. 日本放送出版協会,2000
  • 2)Contento IR.足立己幸,衞藤久美,佐藤都喜子監訳.これからの栄養教育論―研究・理論・実践の環.第一出版,2015

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第4回 吉田亨先生 後編「若手へのメッセージと群馬学術大会に込めた想い」 

(2015年3月)

進路を左右したのは人とのつながり



━━━―博士課程修了後の進路について教えてください!

  •  博士課程を修了した後は、宮坂忠夫先生が紹介してくださった神奈川県予防医学協会というところで1年3ヶ月ほどお世話になりました。具体的な仕事内容は、広報活動、健康教室イベントの企画、事業年報、デパートでの健康教室などかな。江の島で女性を対象にした健康教室は1から10までしっかり取り組んだね。そのあと、大学の助手になってからも対象者へのフォローアップや学会発表などもしていましたね。
  • その間に東大では川田智恵子先生が講師になられて、助手のポストが一つあいたので、声をかけて頂いて、東大にもどったという感じですよ。12年半程、東大の助手をしていましたが、今では任期制が多いので長いですよね(笑)。



━━━―助手の仕事、留学をしたきっかけについて教えてください!

  • 助手時代は悩みの時代でした。健康教育の転換期だったのかなと思います。健康教育なんか「時代遅れ」っていう先生もいた。日々の仕事に加えて、この悩みを整理するのが大変でした。大学院の時に一人で読んだ「Green」の健康教育計画からは大きなインパクトを受けていたけど、それだけでは、当時勢いを持っていた「健康学習」を消化できなかった。
  •  助手の間に1年アメリカに留学をしました。きっかけは、IUHE(International Union for Health Education)の日本誘致が決定したこと。でも正直、日本で開催できるかわからなかった(笑)。そのとき、豊川裕之先生がハーバード大学留学の話を教えてくれた。実は事務文書の応募条件にミスがあって、応募者は自分だけで、留学は「青天の霹靂」でしたね(笑)。



━━━―留学を経て得られたものは何ですか?

  •  留学から帰ってきて周囲から「自信が付いた」と言われました。今と違って、インターネットもないから、情報にタイムラグがあるし、アメリカの社会の仕組みがわかってよかった。公衆衛生分野では、日本とアメリカは全く違う。その差を実感できたところがとても大きかったですね。日本だけみていたら、なんでアメリカではこんな研究をしているのだろうって思っていたと思う。


━━━―群馬大学に就任したきっかけは何ですか?

  •  (これもまた)全くの偶然です(笑)。群馬大学に保健学科を設置する際、今の私のポジションが急に空席となり。群馬大学の学長から川田先生に誰かいないですかという相談が来て、私が行くことになりました。

時間と環境は大切に

━━━―若手へのアドバイスをお願いします!

  • 「時間」は若い時にしかないので、「時間」を大切にしてほしい。立場が上になるほど自分の判断で使える時間が少なくなる。自分の時間を使えるのは若い時の特権。私自身、修士の頃は文献を読みあさっていました。また、環境は選ぶべきだと思う。特に若いうちは環境を自分では作れないですし、能力がある人でも、環境が悪いと伸びないこともあると思うので。例えば保健分野に関してだったら、体系的に勉強できる環境が良いと思う。修士レベルだと体系的な知識を持たずに、目の前の課題を解くためだけに研究していることが多い。研究方法に関するトレーニングが足りないとも思う。だから、いくつかの研究方法をしっかりと学んだうえで、それらを選んで使えることが理想だと思う。

実践家でも大学院の門をたたいてみてほしい

━━━―実践家が研究する際には、どのように研究手法を学んでいけば
    良いでしょうか?

  •  大学院に入ることが、一つの手段だと思う。特に地方であれば、大学院は社会人学生を主なターゲートとしているところも多い。実際、群馬大学大学院の保健学研究科について言えば、多くが社会人学生です。群馬大学の大学院では、志のある実践家が大学院に来て勉強し、それを職場に持ち帰って現場に広め、そこで興味を持った現場の人が、また大学院に来て勉強するという循環を目指している。

━━━―最後に、第24回の学術大会には、どのような思いがありますか?

  •  お世話になった衛藤 隆先生が決める最後の学会長を務めさせて頂くことが出来てホッとしている。「Community Organizingと健康教育」というテーマは、私が健康教育を始めたころから持っていたテーマ。メインのシンポジウムの、社会教育・地域福祉・地域リハビリテーションでは、分野は違うけれどやろうとしていることは皆同じで、お互いに脇を見て一緒にやった方がいいんじゃないの、という話になればいいなと考えている。健康教育、社会教育、福祉教育など、教育が付く言葉はたくさんあるが、本質的にはどれも変わらないと思うので、そういったものを共有できる場になればと思っている。副学会長の笠原賀子先生のお力もあり、無事に学会が出来そうです。是非、たくさんの方に足を運んでいただければと思います。
  • (2015年3月 群馬大学昭和キャンパス 共用施設棟にて)

吉田先生から、健康教育への熱い想い、若手へのメッセージをいただきました。今が、自分の時間に全力で打ち込める「若い時」なんだなと、奮起する若手の会メンバーでした。(松下、町田、中村)

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第3回 吉田亨先生 前編「健康教育の道に足を踏み入れる」

吉田 亨  Tohru Yoshida

1983年東京大学大学院修了。東京大学医学部助手、ハーバード大学公衆衛生大学院特別研究員を経て、1997年から群馬大学医学部教授。2011年から 群馬大学大学院保健学研究科教授として地域健康推進学研究、教育に従事。東京大学大学院医学系研究科、大分医科大学などで非常勤講師を務めた。

自分の経験や人との関わり



━━━― 健康教育を勉強し始めたきっかけを教えてください!

  •  私が高校3年生のときは工学部に進むつもりでしたが、浪人中に物理と数学はこれ以上できないなと感じて断念。なにをやるか決めないまま東大理科二類(農学部・生物系)に入ったけれど、「農業やってもなぁ~」ということで、「みんながやらない、なにか新しいことをやってみよう」という気持ちが強くて、その選択肢の一つが保健学でした。最終的な候補に残ったのは、教育学部の健康教育学と医学部の保健学科でした。大体自分で歩んできた道を選びたいことが多いじゃないですか?ある程度、自分の経験があるから。それで、保健学のなかでも学校健康教育を中心に考えたのでしょうね。
  •  そもそも大学を卒業した後は、研究者になるなんてこれっぽっちも思ってなかった。東大って変なところで、1年生になったばかりのクラス30数名で、研究者になりたいって奴が4-5人いたのね。研究者って何するんだって感じだった!(笑)当然、保健学科へいっても4年生終わったら就職するつもりでいたのですけど、いろいろと事情があってこんな事になってしまって…。



━━━― いろいろな事情とは?

  •  東大の保健学科の前身として、普通の入学とは別枠で入試をして、保健婦・看護婦を養成する4年制の衛生看護学科があったんですよね。この学科を改組して保健学科が作られた。しかし、保健学科は医療上の資格をなにも出していない。私はそんなことを知らないから、当然保健学を勉強して就職して、保健学に関係する仕事をしようと思っていたんですよ。ところが、医療上の資格がないでしょ?例えば、衛生行政に入るとしたら事務職で入るしかない。事務職で入ると保健所長にもなれない。じゃあどうしようかな?って思って、保健学科の先生(豊川裕之先生)に相談したら「健康教育をやりたいんだったら宮坂先生のところへ行けよ」という話になって、それで大学院に行くことにした。ついこの前、豊川先生にこの話をしたら「そんな話、したっけ?」って、数多くある相談の一つにすぎなかった(笑)。


人と関わる仕事が健康教育



━━━―健康教育に興味を持った理由を教えてください!

  •  私は小さい頃にリウマチ熱という病気をしてて、幼稚園の頃2年間は、冬の間、家で寝ていた。病気の体験があって、病気を意識せざるを得なかった。それから小学校1年生のときに、同じように心臓が悪い子がいて、その子と一緒に小学校1年生のとき体育はずっと見学をしていた。でも、その子が小学校4・5年生くらいに亡くなったという話を聞いて。当時、家の事情などに恵まれて、ちゃんと治療してもらえたんだなという気持ちが凄くあって、健康や保健の方に行った気がします。
  •  私の通った高校はちょっと変わった高校で、現在でいう総合学習の時間があり、そこで健康に関することをやっていて、その時の問題意識が残っていて、また、直接人に関われる仕事をしたくて健康教育かなという感じだったかな。当時、保健学科で社会との直接的な関わりや、普通の人・一般の人と関わりをもった仕事ができるところは、私がいた保健社会学だけだったのかなと思います。
  • (2015年3月 群馬大学昭和キャンパス共用施設棟にて)






インタビュー後編は、博士号取得から現場での仕事を経て現在に至るキャリアと若手への熱いメッセージをお届けします!


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第2回 神馬征峰先生 後編「健康教育へ興味をもったきっかけ・若手へのメッセージ」

自分の関心だけでなく、周囲の人々との出会い



━━━健康教育に興味をもったきっかけは何ですか?

  •  公衆衛生院にいた頃の影響が強かった。第1に久常節子先生を初めとするスタッフ。特に久常先生は当時から日本の保健師のリーダー的存在だった。第2に公衆衛生院・修士課程の栄養士や保健師の同級生。「医者だからって偉そうにするな。現場のことを知っているのは、保健師であり、栄養士であり、私たちこそが住民の声を常に聞いている」と、何度も叱られた。こういった人たちにはそれまで出会ったことがなく、強い刺激を受けた。
  •  また、久常先生の推薦で医学書院の保健師や看護師テキストの執筆を始めた。依頼された健康教育について書くために大いに勉強した。当時ヘルスプロモーションを引っ張っていた島内先生や岩永先生とも公衆衛生院で会う機会を得、ヘルスプロモーションが日本に入ってきた頃の情報を得た。97年には、プリシード・プロシードモデルの第2版のテキストを岩永先生たちと翻訳した。2005年に第4版を。そうして、健康教育、ヘルスプロモーションの理解をどんどん深めていった。
  •  当時の公衆衛生院は建物の造りがとてもよかった。教室のドアはたいていいつも開けっ放し。学生でも誰でもいつでも自由にいろんな先生の部屋に入れる雰囲気があった。動物実験はしていたけれども、ふらふらといろいろな先生のところに行った。生きた公衆衛生を学べる構造だった。また、保健所で生活習慣病のための講師をやることもあった。そこで家庭の主婦等が、実際どういう悩みを持っているのかを現場で体験した。こうして理論と実践を、公衆衛生院を基地として学べたことがよかった


海外での経験が将来の夢への意志を強くした



━━━―若い頃に経験して良かったことは何ですか?

  •  学生時代、海外に3回行っている。最初は大学2年生のとき、日米学生会議でアメリカへ。大学4年生のときに、インドに一人で2か月。それから5年生のときに台湾に1~2週間。
  •  一番インパクトの大きかったものはインドの一人旅。南インドの農村開発センターでインターンに行った。そこで、現地のジョゼフ・ジョン牧師やプレム・ジョン医師夫妻と一緒に学校保健をやった。学童の疥癬症に対するケースコントロール研究。現地の人の役に立つ研究だった。研究をやりながら南インドも旅行した。その経験をもとに将来途上国で自分はやれる、途上国で働こうという意志を強く持つことができた。その意味では海外に一度出て原体験をしてみることが大事。先進国でも途上国でもいいけれども、単に海外旅行をするだけでなく、そこで根を張って仕事をしている人の話を聞く。それが自分のその後の歩みを決定づけたと思う。
  •  また、大学の頃、途上国の仕事をしたいと思っていたので、いつかはWHOに入りたいという気持ちが強かった。そのため、英語を相当しっかり勉強した。自転車に乗りながらヘッドフォンで常に英語を聞いていた。ただ学生時代は十分にやり切れなくて、公衆衛生院に入ってから始めたのが、英語のライティング。ライティングのコースに出ていた。英作文と違って、パラグラフ・ライティングなどは直接指導を受けないとなかなか自分のものとして身につかない。しかし一度身につけば一生役に立つ。
  •  そして、芸術としては茶道をやっていた。昔やっていた柔道の影響で何とか道というのが好きだった。海外に出て柔道ができなくなって、裏千家の人と出会ってやるようになった。他にも、禅寺での座禅やキリスト教など、宗教的な雰囲気に触れていた。日本の伝統的な華道とか茶道とか、飾りじゃない、本来持っているものの良さに触れる。そういうのも長い目でみれば重要な体験だったと思う。

自分の可能性を大胆に広げること



━━━―最後に、若手に期待すること、メッセージをお願いします。

  •  殻を突き破る。自分に制限をつけない。自分は○○大学だからあれができないのではないか、自分はこういう専門分野にいるからこれはできないのではないかとか、できないことにこだわらない。できることをもっと広げていく。自分の可能性をもっと大胆に広げていく。それが若い人にとっては大事だと思う。自分は今でもそんな気持ちでやっている。
  • (2014年12月 東京大学本郷キャンパス 国際地域保健学教室にて)

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神馬先生から熱いメッセージをいただき、今できることはなんだろうと改めて考え、最大限のことを全力で取り組もうと心に誓った
若手の会メンバーでした。 (小島、新保、松下)

第1回 神馬征峰先生 前編「これまでのキャリア」

神馬征峰  Masamine Jimba

1985年浜松医科大学卒。飛騨高山赤十字病院、国立公衆衛生院、ハーバード大学公衆衛生大学院を経たのち、1994年からWHO緊急人道援助部・ガザ地区/ヨルダン川西岸地区事務所所長。1996年からネパール学校・地域保健プロジェクトリーダー。2001年からハーバード公衆衛生大学院、2002年から東京大学大学院にて国際保健研究・教育に従事。

希望と違う仕事をやり続けた7年間 
「やるからには一人前になれ」

━━━これまでのキャリアとそれを選択したきっかけを教えてください。

  •  最初に勤めたのが飛騨高山の赤十字病院。いくつかの有名な研修医病院を受けたが、全部落ちた。たまたま求人をみつけたところが高山赤十字病院。面接で院長と話が合い、2年間就職した。ただ学生の時から国際保健の仕事がしたかったので、いつか途上国の仕事がしたいと思っていた。
  •  浜松医大の学生だった時、公衆衛生学教室に出入りしていて、教授に将来結核の専門家になりたいと話していた。赤十字病院にいたころ、その話を覚えていた教授が国立公衆衛生院で呼吸器関係の仕事のポストが空いたから、結核と関係があるだろうし、行きなさいと言ってくれた。学生時代お世話になった伊藤邦幸先生に相談したら、「いいんじゃないか」というので行くことに。東京に行ったら国際保健に近い仕事ができるかもしれない。また公衆衛生は一人一人の患者さんを診るよりもたくさんの人達の予防ができる大事な分野。加えて、東京に行っても大好きだった臨床は続けられると思っていた。
  •  ところが行ってみると全然話は違っていた。まず、臨床ができない。しかもやり始めた仕事はネズミの動物実験。一番嫌っていたこと。ただ入ってしまったからには仕方がなかった。それでも、動物実験をやりつつ、公衆衛生の諸先生と知りあえた。実験をやっていたから、数字の扱い方とか、基本的な統計とか、そういう勉強もしっかりできた。
  •  とはいうものの、それを一生続ける気はなかった。当時、東京大学の公衆衛生学教授だった山本俊一先生に相談したところ、自分の経験を語ってくれた。公衆衛生学教室入局後しばらくして教授が代わり、山本先生はそれまで関心がなかったツツガムシ病の研究をやることになった。ツツガムシ病はネズミを媒介して感染する病気。日本くまなくネズミ捕りを10年くらいやって、日本で「俺ほどネズミ捕りが上手な人はいない」というくらいになった。それと同時に疫学のプロとして成長した。「やるからには一人前になれ、ネズミ取りよりはいいだろう」、「自分の専門分野で一人前でない者が何を言ったって誰も聞いてくれない。とりあえず今の分野で一人前の論文が書けるまでそれをやれ」と助言してくれた。それにしたがって、ネズミの研究をずっとやった。どれだけやったかというと7年間。

つながりからのオファー
自分がしたいことを人に話す


  •  ただ途上国へ行きたいという気持ちはずっとあった。でも、7年も経つとそろそろ無理かなって思いだしてくる。そんなある時、ボストンの寿司屋でA型肝炎をもらって、日本に帰ってきて約1か月入院。退院後は以前ほど仕事ができなくなり、辞めてもいいかなと思い始めていた。
  •  そうしたところに、公衆衛生院の元同級生でWHOに行っていた友人から、WHOの仕事に就かないかという誘いがあった。NGOや赤十字で働かないかというオファーも来た。当時から結核研究所にいた石川信克先生に相談したところ、「WHOにはなかなかいけるチャンスが巡ってこないからWHOにしたら?」という。そこでWHOの仕事を選んで、ガザ地区へ行った。ガザ地区とヨルダン川西岸地域で2年間働いて、その後どうするか。残りたい気持ちはあった。しかし、当時WHOの財政基盤が悪化しており、WHOに留まらない方がよいと言われていた。そこでネパールのJICA・日本医師会によるプロジェクトに移った。当時ネパールでJICAプロジェクトの専門家をやっていた先生が後継者を欲しがっており、これは良いと思ってネパールに行くことにした。
  •  ネパールで働いて5年目、東大のこの教室の前任である若井教授がネパールにやってきて、現職を紹介してくれ、応募することにした。特にネパール行きは自分で選んでというよりは、話が来て飛びついた。大学についてもそれしか選択肢がなかった。ただそのためには、いろんなところで、自分はこれがしたいと主張していたことがきっかけになったと思う。公衆衛生院の時も途上国で仕事がしたいと友人に話していた。相談した先生たちはキリスト者医科連盟とか、キリスト教海外医療協力会というNGOで知り合った先生たち。そのつながりで多くの機会を得た。学外のNGOつながりが大事だったのかもしれない。

━━━複数の選択肢があった時はどのように選択しましたか?

  •  結構直感で選ぶ。ガザの時は面白そうだなと思って決めたし、ネパールについては、学生時代からの諸先生の影響を受けていた、いつか行きたい国だった。直感ではあるけれども、その前に、直感を強めてくれた準備状況はあったと思う。
  • (2014年12月 東京大学本郷キャンパス 国際地域保健学教室にて)

インタビュー後編は、健康教育へ興味をもったきっかけや若手への熱いメッセージをお届けします!

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